2019-04-27

スカイツリーのちかくで「幾原邦彦展」をやっている。すごく観に行きたいけど、連休中は家に引きこもってやらなければならないことがあって、出かけられる日をつくるのが難しい。

https://ikuniten.com/

●たまたま見つけた幾原邦彦展図録の幾原コメントの写真。

https://twitter.com/nighty_queer/status/1122071537568235522

《『さらざんまい』では、一稀たちとゾンビは実は同じであるということが明らかになっていくんです。最初ゾンビは禍々しく、いやらしいものとして表現されているんだけど、実は彼らの存在は主人公たちと等価。僕たちの命や欲望というのは、そういった禍々しさと同列で、その中で存在できる命と存在できない命の分岐のラインが大事になるんだと思う。》

「存在できる命と存在できない命の分岐のライン」。『さらざんまい』もそっちの方向へ行くのか、と。

たとえば「ピングドラム」で陽毬は、ネグレクトされて子供ブロイラーに送られ、「透明」になってしまう一歩手前で、晶馬に見つけられることで「存在」の側に留まることができた。陽毬は、まさに存在と非存在の境界線上(存在できる命と存在できない命の分岐のライン)にあるキャラクターだ。だからこそ陽毬は、冒頭で死に、死んだにもかかわらずわけのわからない力によって、あたかも生きているかのように振る舞わされている「ゾンビ」として描かれる。

ピングドラム」は最後には、陽毬と苹果とを(というか、「テロの起こらなかった世界」を)、非存在(可能性)の領域から存在の領域へと押し上げるために、冠葉と晶馬とが非存在の領域へと沈んでいく。つまり「ピングドラム」でも、存在と非存在との「分岐のライン」が重要な問題となっている。

しかしここで、「分岐のライン」が重要であるのと同じくらいに、存在と非存在とが「等価」であるということも重要なのだと思う。冠葉と晶馬の行為はたんなる自己犠牲ではなく、自ら非存在へと埋没していこうとするその行為自体が、存在と非存在との等価性を証明するものだと言えると思う。「ピングドラム」において愛とは、存在するものを存在の側に留めようとすること(この意味での愛は「分岐のライン」にかかわるものだ)であると同時に、より根源的なものとして、存在と非存在との「等価性」を肯定しようとすることだと思われる。

このようなことがらについて、『さらざんまい』はどのように切り込んでくるのだろうか。

 

2019-04-26

●『さらざんまい』第三話。

カッパの側を特徴づける運動が人力車による水平的な移動であるの対して、カワウソの側を特徴付けるのはスカイツリーを上昇したり下降したりする垂直的な運動であるようだ。また、カッパは隅田川(吾妻橋)を挟んで浅草側にテリトリーがあるのに対し、カワウソは、対岸のスカイツリー側をテリトリーとしているようだ。

(とはいえ、この対立は本質的なものではないと思われる。「ウテナ」において、一方にベタな性的欲望-快楽をあらわす高速道路を自動車で疾走する水平的運動があって、もう一方に、塔の上へと昇っていく(世界の革命を目指す)超越的な欲望をあらわす垂直的な運動という対立があったが、それはどちらも、生徒会=暁生システムの側にある運動であり、どちらもウテナにとっての罠という意味で「偽の運動」であったと言える。ウテナはその偽の対立こそを超えなければならなかった。)

また、カッパの側が、肛門・直腸的なイメージの圏内にあるのに対し、カワウソの側は、警察官であることで拳銃をもち、また、スカイツリー()をテリトリーとするということから、象徴的な男性器(「穴」に対する「突起物」)というイメージの圏内にいるようにも思われる。とはいえ、カワウソの側にいる二人(レオとマブ)において、拳銃は「突起物」であるというより、銃口=穴という特徴の方が強調されているように見える。つまりここでも、肛門対男性器という対立は本質的なものではなく偽の対立であり、肛門・直腸も、男性器も、どちらも「穴と管」という同一の構造に還元できると考えられる。

(直腸の奥に尻子玉が隠されており、穴=肛門から侵入してそれを奪い取る---穴の外から内へ---という方向性と、銃口=穴の奥に弾丸があり、その弾丸が発砲によって外へ発射される---内から外へ---という方向性の違いがあるとはいえ、穴があって、管があり、その奥に何かが隠されているという構造は同じだと言える。)

だからここで、肛門・直腸と男性器とは、対立するイメージではなく鏡像的な類似物としてあらわれており、この二つ(カッパ=肛門とカワウソ=男性器)は、隅田川という鏡を挟んで鏡像的に反転した相似的なイメージと考えるのかがよいのではないか。つまり、穴=女性器、突起物=男性器という通常の対立的なイメージに対し、肛門・直腸も男性器も、穴と管という同一の構造の反転的な表れであるという見方が示されていると考えられる。

穴と突起物というイメージの二項対立を解消するものが、管という三つ目の項である。管は、突起物にも陥没構造にもあり得ることで、マイナス突起物=穴、マイナス穴=突起物という形でイメージの反転的同一化を可能にする。穴と突起が管に媒介されることによって、穴、管、突起の三項による循環構造が生まれる。

ならばここで、カッパとカワウソとの対立は、カッパが三である(一稀、悠、燕太)のに対して、カワウソが二である(玲央、真武)という、三と二との対立ということになるのではないだろうか。カッパが三であり、カワウソが二であるという、この三と二との違いが、この作品において今後重要になっていくのではないだろうか。

(穴の奥に管があり、管の先にもまた穴しかない、そしてその穴は、別の穴に繋がっている、という構造も、勿論考えられるだろう。あるいは、管こそが裏返された外皮=突起であり、突起もまた、裏返された管---内皮---でしかないとも考えられる。この場合、奥に隠されたモノ=尻子玉は、内側にあると同時に、外側にもあることになる。そして「穴」とは、内と外との反転が生じている「境界」でしかないことになるだろう。)

 

2019-04-25

●十二、三歳くらいから四十年も刷り込まれつづけてきた、脳の中の坂本龍一ニューロンが次々に発火して、連鎖的にぶわっとひろがっていくような興奮を感じた。

U-zhaan & Ryuichi Sakamoto feat. ROY × 鎮座DOPENESS / エナジー風呂 (Energy Flo)

https://www.youtube.com/watch?v=MUaNz9M8fs8

坂本龍一の曲は、それを聴いていた(はじめて聴いた)頃の記憶とまったく結びついていないのが不思議だ。

THATNESS AND THERENESS RIUICHI SAKAMOTO 坂本龍一 (1980)

https://www.youtube.com/watch?v=DxJJmTKvNtI

Ryuichi Sakamoto - Lexington Queen (1980)

https://www.youtube.com/watch?v=W66qgWLk3Ds

Ryuichi Sakamoto - Grasshoppers (1978)

https://www.youtube.com/watch?v=PfdthII1hZg

Ryuichi Sakamoto - Das Neue Japanische Elektronische Volkslied (1978)

https://www.youtube.com/watch?v=DqQykm7ZnnA

●若い時に、若い時の時間に、こういう音楽を聴いて過ごせる若者がとてもうらやましいです。

U-zhaan×ROY×鎮座DOPENESS / 七曜日

https://www.youtube.com/watch?v=WM1RfwXESKk

Torihada LIVEU-zhaan×ROY×鎮座DOPENESS「リズム」

https://www.youtube.com/watch?v=ncMu0L0InEw

FNCY - DRVN’ (Prod. : G.RINA) ZEN-LA-ROCK / G.RINA / 鎮座DOPENESS

https://www.youtube.com/watch?v=ENMsQi0HT-Q

 

2019-04-24

●メモ。泣けるカバー集(セルフカバーもあり)

水星(tofubeats cover)ラブリーサマーちゃん

https://www.youtube.com/watch?v=-e0GJriJx-g

鎮座DOPENESS×ROY×U-zhaan / サマージャム'95

https://www.youtube.com/watch?v=Ir8xLSoz8VI

誘惑について 田島貴男

https://www.youtube.com/watch?v=acXIGgtL-L4

Happy End - RYUICHI SAKAMOTO

https://www.youtube.com/watch?v=kvrvxxQS6Jw

土岐麻子 Toki Asako Summer Nude

https://www.youtube.com/watch?v=iJ1y8MKg9kA

さよならポニーテール 『空も飛べるはず

https://www.youtube.com/watch?v=uGa1_713DFU

ウルフルズ - 大阪ストラット

https://www.youtube.com/watch?v=rGtnAp8KZ_8

Cornelius - Cue (YMO cover)

https://www.youtube.com/watch?v=wbAyyslI9Sc

みちでバッタリ (矢野顕子)

https://www.youtube.com/watch?v=rfEO7YJpoKM

須藤凜々花 a.k.a.りりぽんVer. お嫁においで【ビートジャック】(加山雄三 feat. PUNPEE

https://www.youtube.com/watch?v=vpWXQ-CiMUo

(「みちでバッタリ」のオリジナルは高橋悠治『僕は十二歳』というアルバムに収録されている。中山千夏が唄っている。)

 

2019-04-23

●最近、アイドル曲を聴くようになって、遡行的にその良さを発見したのが南野陽子だ。ぼくは南野陽子と同じ歳なのだが、リアルタイムではその良さをまったく感じることができていなかった。というか、どちらかというと嫌いな方だった。この良さを分からなかった当時の自分はバカだったと今は思う。

南野陽子はいからさんが通る(Live '88)

https://www.youtube.com/watch?v=KgIfth6B9yo

南野陽子 「吐息でネット」(Live '88)

https://www.youtube.com/watch?v=S7yBnQb7iyE

南野陽子の良さを認識する助けになったきっかけの一つに、下の動画がある。

ものまね 南野陽子×ミラクルひかるはいからさんが通る

https://www.youtube.com/watch?v=UnHdzJh8PyE

 

2019-04-22

●地下アイドルという世界が、そうそういいことばかりでなく、多くの深刻な問題()が存在するのであろうということは、にわかであるぼくにも容易に想像できる。

とはいえ、それによって、下の動画に映し出されているような、きわめてぬるく、ゆるゆるであるような時空が、この世界の片隅でほんの一時でも成立し得るのだとしたら、それはかけがえなく貴重なものであるように思われる。これは奇跡のトークではないかと思った。

(下の動画は、アベマTV「火曜The NIGHT」の例の神回を受けてのトークで、その模様は、 アベマTVに課金すればたぶん観られる。)

まんぼう×ヨネコ×レジェンド3マン ~ #あの夜再び 吉田豪x桐原ユリxヨネコx小日向由衣 20190421 阿佐ヶ谷家劇場

https://www.youtube.com/watch?v=h2NbUqNs5qk