2019-09-06

桂離宮を見学している時、何人もの職人が庭園のメンテナンスをしていた。おそらく、何十人という規模の人数の職人が、持続的に毎日、なにかしらのメンテナンスをしていることによって、ようやく桂離宮という空間は維持されているのだろう。庭園は自然ではなく、完全に人工的でバーチャルな空間だから、常に保守をしていないと崩れてしまう。 (高度な技術を要するデリケートな)メンテナンスが、持続的に、四百年の間途切れることなくずっとつづいているからこそ、桂離宮はほぼ完全な形で今でも残っているということだろう。

(そのためには技術をもつ人材の継承も必須だろう。そして、そういうものの維持には持続的な大きなお金が必要だろう。)

そもそも桂離宮は八条宮という貴族のプライベートな庭園であり、家の者と、家の者に招かれたごくごく少数の特権的階級の者たちだけがそれを経験できる、というためにつくられた空間だと言える。あくまで、少数の客をプライベートでもてなす空間であり、(寺や神社のような場所とは違って)大勢の見学者が訪れるためにつくられたものではないのだろう。だから、大勢の人たちがおしかけると、それだけで壊れてしまうであろう、きわめてフラジャイルな空間だ。

(あくまで、ごくごく一部の特別な人たちだけに経験可能な、特別な異界だったのだと思われる。)

明治になって宮内庁管轄となって一般に公開されるようになるのだが、そこにも当然、保守のための制限がつく。

現在では、参観者は一回で60人以内に限定され、先頭にガイドがいて、最後尾に監視員がいる、という形で公開されている。参観者はこの二人に挟まれ、その間のどこかにいなければならず、ガイドの歩くペースに従って、定められた回遊路を、定められたペース(一周一時間)で移動することしかできない。ふらっと自由に歩き回ることはできない。そもそも、メインの建物である書院のなかには立ち入ることすら出来ない。このような制限は、桂離宮という空間を保守し、維持するために設けられているのだろう。

●昨日の日記で、桂離宮を観て荒川+ギンズを想起したと書いた。そして、二人がやろうとしてやりきれなかったことのいくつかが、ここでは実現されているのではないか、とも。この感覚は変わらない。しかし、荒川+ギンズだったら、このような「参観」するしかないような空間には満足できなかったであろう。それぞれの人が、もっと自由に、傍若無人に使用する(試行する)ことが出来、しかも、その内に「住み着く(暮らす)」ことが出来るような空間が求められていたはずだ。もし、桂離宮をそのように「使う」としたら、再び、ごくごく一部の特権的な階級の者もののみがアクセスできる空間としなければ、機能しないだろうし、空間そのものが維持できない。しかしそうなってしまえば、アラカワの考えていた「共同性」というものから決定的に離れてしまう。

●ともあれ、まず、桂離宮という圧倒的で奇跡的なコンテンツが持続的に存在するということは重要だ。

 

2019-09-05

柄沢祐輔さんセレクトによる小堀遠州ミニツアーの二日目。高台寺の傘亭と時雨亭。千利休がつくったとされる二つの茶室が移築され、その二つ茶室の間を遠州がブリッジした。次に、圓徳院の北庭。エリー・デューリングが京都で一番好きな場所だと言ったという。そして最後に桂離宮を見学。

●どれもすばらしかったが、特に桂離宮はすごかった。俯瞰で見れば一つの広大な広がりである庭園は、その内部にいる人間にとっては、視点の位置(立っている場所や視線の方向)によって不連続に分割される、いくつもの異なる場面の重ね合わせになるように配置されている。回遊路に沿って移動することで、いくつもの不連続な空間が時間的展開として次々にあらわれる。空間の変化は連続的なものではなく不連続的で唐突であり、時間(歩行による移動)が、本来なら繋がらない空間を無理矢理に串刺すように繋げることになる。

(空間の非連続性は、時間の連続性をもぶった切るような効果を生む。場面1234という順番で移動したとしても、それぞれの場面が非連続的かつある程度自律的であるため、その順番=展開は相対化される。それは、3142という順番であってもよかったかもしれないし---というか、頭のなかでそのように組み替えられるかもしれないし---あるいは、時間的展開それ自体が後退し、全ての場面1234が同時的、重ね合わせ的な経験としてあってもよいかもしれない。3の場面で得られた感覚が、しばらく先まで移動し、対岸から3の位置を見返すような8の場面において---38というモンタージュによって---再解釈されたりもする。それぞれの場面の結合や関係-関係の組み替えは、かならずしも回遊路の順番=時間的展開に拘束されるものではない。)

(とはいえ、そうだとしても、それらの場面を経験するには、我々は実際に自分の身体をもって庭園を順番に歩かなければいけない。右に曲がったり左に曲がったり、坂を上ったり下ったり、常に足元への注意に拘束されながらも遠くへ視線を投げたり、池に落ちるのではないかと緊張しながら細い橋を渡ったりする必要がある。経験を得るための「手続き的順番」はショートカットできない。)

(上の、二つの括弧でくくった部分が両立している、ということが重要ではないか。そしてこのことは、後述する---下にある括弧でくくった---部分と深いつながりがあると思う。)

非連続的である各々の場面は、空間の構成要素、スケール、表情、視線の抜け方や視線が導かれる方向などが、それぞれ異なっている。しかし、各場面の「違い」は、そのようなたんなる図としての、あるいは意匠としての違いに留まるものではない。それは、我々が空間を感知するための地を揺さぶるような「違い」を含んでいる。たんにスケール感が違うのではなく、スケール感を計る(潜在的)物差しそのものの「違い」として仕組まれている。すべての場面を貫く共通の物差しがないまま、いくつもの非連続な場面や、場面と場面の重ね合わせのなかを移動する経験は、我々のなかで普段は自動的に働いている「スケール」という感覚を揺さぶり、スケールがよく分からなくなる。

(大きい、小さいがよく分からなくなる。遠くまで視線が伸びる場面が広大で、茶室のようなごく限定された広がりが小さいということではなくなる。自分が、広大な庭園を歩いているのか、自分の頭のなかを経巡っているのか、あるいは、小さな模型を外からのぞき込んでいるのか、そのどれでもあり、どれでもないような感覚になる。)

●見学が終わった後に荒川修作が想起された。荒川+ギンズが、やりたくて、やろうとして、でもやりきれなかったことの多くが、桂離宮では実現されているのではないかという感じ。

 

f:id:furuyatoshihiro:20190908142938j:plain

 

f:id:furuyatoshihiro:20190908142919j:plain

 

f:id:furuyatoshihiro:20190908143032j:plain

 

f:id:furuyatoshihiro:20190908143052j:plain

 

f:id:furuyatoshihiro:20190908143110j:plain

 

 

 

 

2019-08-31

U-NEXT大島渚『飼育』(1961)を観た。実は初めて。松竹を退社した後の最初の映画で、つまり『日本の夜と霧』の次。原作は大江健三郎芥川賞受賞作。初期の大島渚のノリに乗っている(調子に乗っている)感がガンガン出ていて、かっこよく、とてもよかった。大島がこの次につくった『天草四郎時貞』もU-NXTでは観られるんだな(未見)

山のこちら側の斜面で焚かれる火から、向かいの山の斜面の火が見え、そちら側へと視点が移っていくラストシーンがすばらしかった。この空間の感覚。

(パレスフィルムプロダクションという聞いたことのない会社が製作している。松竹時代に比べれば予算が少なそうだけど、六十年代後半の創造社作品よりはまだずいぶんお金がかかっている感じ。有名俳優がたくさん出ている。)