今週は個展。今日はその一日目。かなり疲れてる。
と、いうことで、今週は、日記は、ささっと、短めで手早く終わらせることになると思う。
会場へ向かう電車のなかで聞いた、丸刈りの高校生たちの会話。
『ナントカ(バンド名)のギターって60年ぼくてカッコいいじゃん』『ギターの弾き方に60年代っぽいとか70年代っぽいとかあんのかよ』『あるよ、きまってんじゃん』『どー違うんだよ』『最近のーっ、ビジュアル系のバンドとかって、ギターをこう低く下の方で構えて弾くじゃん、でもビートルズとかって、もっと上で、立てた感じで弾くじゃん』『はぁーっ』
ギターの弾き方って、奏法とかサウンドとかのことじゃなくて、たんに見た目の形のことだった訳ですね・・・。
で、その後はディスクマンマイルス・デイビスの『ダーク・メイガス』を聴く。久々にマイルスのエレクトリック魂、炸裂。
本を読んでいて、とても美しいイメージを発見する。吉増剛造の最初の詩集『出発』の「 けちな作戦 」から。
『数億のタマシイが裸電球のように往来し
 数億のキンタマがやがてうなだれてゆく』
重力から自由な無数のタマシイたちが、浮遊し、光り輝き、点滅しながら辺りを満たし、往来する一方、重力に縛られた情けないキンタマは、やがてだらしなくダラリとうなだれるように垂れ下がる。この見事なイメージのコントラストを、コントラストとして見るのではなく、一枚の画面のなかに重ね描きしたものとしてイメージしてみたらどうだろうか。
それはとても絵画的なヴィジョンなのではないだろうか。絵画の両義性。タマシイ性とキンタマ性。かなり無理矢理な読みだというのは承知だけど、ぼくにはどうしてもそう読めてしまう。(一体、何を言ってるんだか・・・)
大村さんから、田中登の『?色情めす市場』と『?女郎責め地獄』のビデオを借してもらう。『?女郎責め地獄』の方は、最近ファンになった中川梨絵が主演。田中登の映画は今まで一本も観た事がない。展覧会が終わってから、ゆっくり観ます。