●今度の展覧会の図録にテキストを書いて下さる批評家の早見尭さんが、ギャラリーの北村さんと二人でアトリエに新作を観に来た。ただでさえ、まだ誰にも観せたことのない(自分しか観ていない)作品を最初に人に観てもらう時は緊張するのだが、それが、半ば自分の内部であるかのようなアトリエに人を招いてのこととなると、それに加えて何とも落ち着かない感じになるのだった。キャンバスに絵の具を塗布するための木の棒切れやヘラが散乱し、そこで絵の具を混ぜているパレットの上で絵の具が固まり、しずくの垂れた絵の具の容器がいくつも置かれている、等々の、まさにそこで作品が生み出されている場(ぼくの場合はそれがそのまま日常生活が行われている場でもある)に、そのまま置かれている「作品」は、何かまだ自分から、あるいは「その場」から、充分には切り離されていない感じで、よそ行きになる前の無防備な姿を見られるような気恥ずかしさがあるのだった。(ギャラリーなどで作品を観てもらう時は、この人は作品をどう観ているのか、どのように感じているのだろうか、というような緊張や怖さを感じるのだけど、アトリエのような場所だと、それよりも「気恥ずかしさ」の方が勝ってしまう感じなのだった。)