有明のZa Gallery有明で今澤正・展

有明のZa Gallery有明(「ゆりかもめ国際展示場正門駅りんかい線国際展示場駅ちかくのWANZA ARIAKE BAY MALLの2F。TEL03-5530-5711)で今澤正・展。基本的に今までの今澤氏の作品とかわりはないが、おそらく展示される空間との関係で選択されたのだろうと思われる、今回の作品の「小ささ」と、壁に掛けられるのではなく、「立て掛けられる」展示の仕方は、今澤氏の作品の特徴を一層際立たせることになっていると思われる。紙の裏側を板のようなもので補強して壁に立て掛けられている、一辺が30センチ程度のサイズの展示作品は、その不思議に鈍く輝くような色彩の効果もあって、壁に掛けられて宙に浮く絵画というよりも、気に入った装丁の本やレコードジャケットなどが部屋に立てかけられているような感じ、あるいは小さな板に描かれた持ち運びの出来るイコンのような感じで、つまり、目(で見ること)によってそれと関係するだけでなく、手で持ち運び、それを見る者が自ら場所を選んで壁に立てかけ、そして何よりも(ギャラリーのような空間にあるというより)それを見る者の生活する空間のなかに置かれて見られるのが適当であるような、ある親密さというか、「内側にある」ものというような性格を有している。それは、見ることによってだけ「像」を浮き上がらせる装置としての絵画であることにかわりはないが、その装置の物質的な性格が、そしてその装置が浮かび上がらせる「像」の性格が、それを見る者とのとても近く、親密な距離感を実現する。紙にオイルパステルで描かれた今回の作品は、キャンバスに油絵の具で描かれた作品に比べ、色彩の不透明感が増し、素材としての紙、色材としての絵の具の物質感を強く感じさせるのも、それが「手の内にある」という程度の距離感を生んでいる原因かもしれない。(このような特徴は今澤氏の大画面の作品にも言えることなのだが、紙による小品では、それがはっきりと際立っている、ということだ。)
今澤正の作品に用いられる形態は、家を思わせるものだったり、柱を思わせるものだったりして、基本的に「親しげ」なものであるし、その色彩も、きわめて穏やかなものであり、視線を撥ね返したり、ことさら刺激を与えたりせず、じわじわと視線を誘い込むようなものだ。しかし、一見親しみやすい形態、例えば「家」を思わせるような形態であっても、それは簡単には家のような立体像を結像しないように、妙なかたちでトリミングされている。親しげな形態に誘われて、(目は自然に立体像を探ってしまうので)そこに一つの立体像を結像しようとすると、その像は成立せず、平面的な色面へと解けてしまう。ほぼ同明度でまとめられた色彩も、明暗の対比を自然に追ってしまう視線をはぐらかし、捉え難い広がりへと誘い出す。つまり今澤氏の作品は、いかにも親しげで、「手の内」にあるように見えながらも、それに触れようするとするっと逃れ去ってしまうような感触なのだ。ぼくはキリスト教に詳しくないので、とんちんかんなことを言っているかも知れないのだが、イコンの偶像崇拝の禁止に対する正当性は、イコンのあらわす像そのものを崇拝するのではなく、イコンはその像があらわすものをよりよく「想起」するための装置なのだ、という点にあるそうだ。つまり、像は像そのものを見る(信じる)ためにあるのではなく、像の向こう側にあるものへと人の視線を誘うためにある、と。だから像そのものは敬意をもって扱われ「崇敬」されるものではあっても「崇拝」されるものではない、と。おそらく今澤氏の作品の「親しさ」も同様のものであろう。つまりその「親しさ」は、親しさの向こうにあるものへと人を誘うためのものであり、「親しさ」そのものが作品の意味ではない。
●今澤正・展は、4月17日まで。(10時〜19時半、最終日は17時まで)