2021-09-29

●眠っていたのはほんの十分くらいか。夢のなかで背中をかいた。右の手のひらをグーにして、親指だけ立てて背中にまわし、手首を支点に上下に動かす。夢の中でのその運動は、現実の身体にも作用して、右の手首が左右に動く。その動きがきっかけで目が覚める。そのとき、現実空間で右のてのひらは横たわった体の(背後にではなく)右側にある。

しかし、自分の空間感覚では、覚めてもほんの少しの間、右のてのひらは背後にある。背後にあるはずの右手首を動かしている感覚がある。背後にある右手首を動かしているはずが、体の右側にある右手首が動いていた。背後にあった「動かしている感覚」が、なぜか右側面で「動いている」。えっ、では、背後にあった右のてのひらと手首はどこに消えてしまった…。

この時、「背後にあると思っていた右のてのひらが、実は体の右側にあった」とは感じていない。背後にあったてのひらと手首、背後で動かした「動かし(運動の能動性)」が、その感覚だけを残して消え、まったく異物のようにして(入れ替えられた偽物のように)、体の右側で、まるで他人のもののような右のてのひらと手首があって、その手首が勝手に動いている。ぼくは、手首の動きを感じてはいるが、それを動かしている主体は自分とは思えない。

ぼくの運動の能動性は背後にあり、それは消されてしまった。その代わりに、強いられた右手首の動きが右側にあり、その強制された「動かし」がぼくの身体に連結されて、眠りがさまたげられた。そのように感じたのだ。

2021-09-26

●近所に昔からある床屋がある。ぼくが小学生の頃にバリカンで刈り上げしてもらっていたところだ。前を通ると、二十代から三十代はじめくらいに見える若い男性が理容師をしているのが見える。いままでなんとなく、昔刈り上げられたあのおっちゃんの子供が店を継いだのだろうと思っていたが、考えてみるとそれは変だ。あのおっちゃんの息子なら年齢はぼくと同じくらいであるはずだ。えっ、なら孫なのか。店の前を歩きながら思わず「孫なのか! 」と口から言葉がでた。三代つづいているのか、おじいさんの店を孫が継いだのか、大学に入ってから二十五年以上地元を離れていたので、その間のことは分からないが、息子ということはないだろう。それをいままでなんとなく息子と思っていたぼくの時間感覚がおかしい。自分が歳をとっているのだということが感覚として分かっていないのだ。

考えてみれば、子供の頃からいままで同じ店がつづいているのは近所ではそこだけだ。中学生の時に店の前にエロ本の販売機があった雑貨屋は、とっくの昔から営業はしていないが建物だけは廃墟のように残っていた。でもその建物も最近取り壊された。それくらい時間が経っているのだ。

2021-09-25

●講義のためのスライドをつくっていて、自己紹介が必要かと思い、自己紹介のスライドに簡単な経歴を打ち込んでていて気づいたのだが、来年で初めての個展から三十年で驚いた。時間が溶けるように過ぎていく。

2021-09-24

●お知らせ。10月11日発売の「早稲田文学 2021年秋号」に、小説「ライオンは寝ている」が掲載されます。「群像」2013年8月号に載った「グリーンスリーブス・レッドシューズ」以来、八年ぶりの小説です。

(特集の「ホラーのリアリティ」がとても面白そうで、よい号に載せてもらったと思う。)

http://www.bungaku.net/wasebun/magazine/

カフカの断片「中庭への扉を叩く」(柴田翔・訳)は次のようにはじまる。

《それは夏の暑い日だった。妹と一緒に家へ帰る途中、あるお屋敷の中庭の戸口の前を通りかかった。思い上がった悪ふざけだったのか、ただ放心してぼんやりしていたせいなのか、よく判らないのだが、妹がその扉を叩いた。いや、ただ脅す真似のつもりで拳を振り上げただけで、ぜんぜん叩いてなどいなかったのかも知れない。そこからあと百歩ばかり行くと、左へカーブして行く国道沿いに村が始まっていて、私たちの知らない村だったが、もうその最初の一軒から土地の人々が出てくると、こちらに視線を送ってきた。それはむしろ好意的な視線ではあったのだが、一種の警告でもあり、彼ら自身が衝撃を受けて、恐怖から身を屈めてさえいるのだ。村人たちがいま通りすぎてきたお屋敷のほうを指さすので、否応なしにその扉を叩いたことを思い出した。屋敷の所有者たちが私たちを告発するだろう、すぐに捜査が始まるだろう。 そう彼らは言う。》

最初に、《妹》の心のほんの小さな揺らぎ、行為にまで至らなかったかもしれない、悪意とも言えないくらいのちょっとした悪ふざけ的な気持ちの惹起がある。《妹》は、扉を叩いたのかもしれないし、叩かなかったのかもしれないが、何かしらの気持ちの動きがあった。この小さな揺らぎはまず、《私》によって察知される。《妹》から発せられた揺らぎは《私》に伝わり、《私》はそこで、ごくごく僅かではあろうが、そこに悪意の萌芽のようなものを感じ、ごくごく僅かながらも、禍事の予感のようなものが生じる。とはいえそれは、それを感じた本人にすら意識されないくらいの小さな波で、すぐさま忘れられるくらいのものだろう。

しかしここで重要なのは、とても僅かなものであったにもかかわらず、《妹》に生じた揺らぎが《私》に伝わってしまったということで、それが《私》に伝わるのならば、もっと広く、別の人々に伝わってしまわないという保証はない。この小さな可能性、小さな悪い予感が、カフカにおいては急速に拡大される。むしろ、それが取るに足らない小さいことであるからこそ、見逃されることがないのだとでもいうかのように。あったかなかったかさえ定かでない、あったとしても誰にも見られていないはずの行為、《妹》と《私》の心のなかだけで起ったにすぎないはずの小さな揺らぎが、知らぬ間に伝わっていて、既に、土地の人たちの間では共通の了解となるまで広まってしまっている。

土地の人たちが「視線」を送ってくる。《それはむしろ好意的な視線ではあったのだが、一種の警告でもあり、彼ら自身が衝撃を受けて、恐怖から身を縮めてさえいるのだ》。ごくごく小さな邪気にすぎないはずのものが敏感に察知されてしまう。そしてそれは「私」や「妹」には知らされていない未知の「掟」に背き、とても重大な禁忌に触れてしまうものだったようなのだ。土地の人たちは、《私》や《妹》がよそ者で、その掟や禁忌を知らず、破ろうなどと意識しなうちに掟を破ってしまったと知っているのだろう。そして彼らも、その掟に強く抑圧されているのだろう。おそらく《好意的な視線》はそこからくる。だが同時に、その禁忌に触れることの恐ろしさを知っているからこそ《彼ら自身が衝撃を受けて、恐怖から身を縮めてさえいる》。

ごくごく小さな悪意の惹起と、その悪意とセットになって生じているであろう、ごくごく小さな罪悪感。罪悪感には、この悪意が人に伝わってしまうことへの恐怖も含まれるだろう。ここでは因果が逆転していて、あたかもこの罪悪感こそが「それによって破られる掟」を事後的に生成し、それによって触れられる禁忌を後からつくりだしてしまうかように、物事が進展する。さらにここで重要なのは、この「悪意」の出所が自分ではなく《妹》であることだろう。自分由来ではない、自分ではどうすることも出来ない悪意が《私》を脅かす。とはいえ、出所は《妹》であり、庇護すべき存在なのだから、他人に責任を押しつけて自分だけ逃げるわけにはいかない。《私》はこの事態を引き受け、《妹》を保護しなければならない。ここにはちょっとした虚栄心の作動もみられるだろう。

2021-09-23

ボルヘスの「バベルの図書館」の冒頭で、図書館=宇宙の構造が、以下のように描かれる。

《(他の者たちは図書館と呼んでいるが)宇宙は、真ん中に大きな換気孔があり、きわめて低い手すりで囲まれた、不定数の、おそらく無限数の六角形の回廊で成り立っている。どの六角形からも、それこそ際限なく、上の階と下の階が眺められる。回廊の配置は変化がない。一辺につき長い本棚が五段で、計二十段。それらが二辺をのぞいたすべてを埋めている。その高さは各階のそれであり、図書館員の通常の背丈をわずかに超えている。棚のない辺のひとつが狭いホールに通じ、このホールは、最初の回廊にそっくりなべつの回廊や、すべての回廊に通じている。ホールの左と右にふたつの小部屋がある。ひとつは立って眠るため、もうひとつは排泄のためのものだ。その近くに螺旋階段があって、上と下のはるかかなたへと通じている。》(鼓直・訳)

これをもとにして、アントニオ・トカという建築家が、下のような図を描いた。

図は、以下のサイトから。

La Sinfonía de Babel [Babel’s Symphony

https://intonationsjournal.ca/index.php/intonations/article/view/20/51

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ただし、この図は本文に対して正確とは言えない。小説では、二つの部屋(立って眠るためのものと、排泄のためのもの)は、ホールの左右にあるとされるが、図では書庫の方に組み込まれている。だからそれを正確に反映すれば、下のような図になる、と考えた人がいる。

The Library of Babel, again (Dumb Future)

https://www.jwz.org/blog/2016/10/the-library-of-babel-again/

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だがこの図にも二つ問題がある。本文には、《このホールは、最初の回廊にそっくりなべつの回廊や、すべての回廊に通じている》と書かれている。これの意味を、六つの辺すべてが隣接する書庫に通じているととるならば、この図は正確ではないことになる。

それに、このような構造だと、下の図が示すように、閉じた構造になってしまい、横へ移動することが出来ない。

Theory - Why Hexagons 1 - Library of Babel

http://libraryofbabel.info/theory.html

 

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あるいは、

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とはいえ、この構造物は上下にも無限に重ねられているので、閉じたループを上下でズラして重ねれば、(隣室に行くのに登ったり降りたりでとんでもない手間がかかるとはいえ)閉じ込められるという問題は解決する。この方が迷宮っぽい感じでもある(ただし、これだと「平面充填」されないが)。

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また、それ以外にも、中心から無限に広がっていく構造を考えることもできる。この場合は「平面充填」されるが、無限に長い一本道と変わらなくなってしまう(上下でズレればよいのだが)。

 

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ボルヘスの記述だけでは、この図書館の構造を一意的には決定できない(というか、実は不可能? )ということが、おそらく重要なのだ(ちょっと検索しただけで、これらが出てきた)。