●新宿のphotographers’gallery(http://www.pg-web.net/)で、上田和彦×永瀬恭一による、二回目の「組立」展がはじまっています(http://d.hatena.ne.jp/nagase001/20090122)。ぼくは今回の「組立」にはまったく関係していませんが、この機会に、前回参加した「組立」のフリーペーパーに書いた文章をここに掲載しておきます。なお、ぼくはまだこの展覧会を観ていないのですが、上田さんとは去年、大分での展覧会でご一緒して、その時は作品はとても良いもので、強い刺激を受けました。
●以下の文章は、ヘレン・フランケンサーラーという1928年生まれの戦後アメリカの女性画家について書いたものです。読み返してみると、たんなる紹介的なもので、常識的なことしか書いてないなあと思うのですが(というかむしろ、最も重要なところが言い足りてないなあと思うのですが)、しかし、フランケンサーラーという画家は、戦後アメリカ絵画に興味がある人以外には、多分ほとんど知られていないと思うので、不十分な紹介にも一定の意味はあると思われます。ぼくはこの画家のまとまった展覧会を日本で是非やってほしいと思っているのですが(ぼく自身、フランケンサーラーの「実物」はほんの数点しか観たことがないのですが、今、最も気になっている画家の一人です)、しかし、現在の美術の傾向からすると、それはほとんど不可能に近いことだと思われます。とはいえ、去年は、いきなりモーリス・ルイスの展覧会が行われるという奇蹟のようなことが起こったので、それがまったくあり得ないとは言えない。だから、少しでも人の目につく可能性のあるところには、なるべく「フランケンサーラー」という名前を出しておきたいので、出来の良い文章とは思えないのですが、ここに掲載することにしました。


線と色彩、画布へ滲み込む絵具/ヘレン・フランケンサーラーをめぐって


二〇〇五年の一〇月に、府中市美術館の「ホイットニー美術館コレクションに見るアメリカの素顔」という展覧会で「アーデン」(一九六一年)という作品を観て以来、ずっとフランケンサーラーのことが気になっている。
とにかく、この「アーデン」という作品の前に立つと、からだじゅうの様々な感覚が、ざわざわと波だちはじめるのだった。ぼくはそれを「目」によって見ているのだが、目から入った感覚が、体中の様々な感覚と直接結びついて、波立ち、動き出す。目が見ているのは、キャンバスにしみ込む絵の具のつくり出す、色彩の多様なニュアンス(と、その揺れ)であり、色彩そのものが発するリズムや響きであり、絵具の流れがかたちづくる形態や「動き」の感覚であり、そして物質としての絵の具が物質としてのキャンバスにしみ込んでゆく感触の様々なニュアンスであるのだが、それら全てが同時に、あるいは、次々と切り替わりつつ断続的に感覚にもたらされることで、からだの芯を掴まれ、ぐらぐらと揺すられるような感じになる。
(しかし図版で観る限り、彼女の良い仕事はほとんど五〇年代から六〇年代始めに限られている。ここでフランケンサーラーの作品と言うとき、それは彼女のその時期の作品を意味する。)


ヘレン・フランケンサーラーは、下地をつくっていない生の綿布に絵具を滲み混ませて描く技法を発明した、抽象表現主義の代表的な女性画家で、この技法は、抽象表現主義の「感性」を代表するとも言っていいものだと言える。実際、53年に彼女のアトリエを訪れたモーリス・ルイスとケネス・ノーランドは、そこでほとんど啓示といってよいような衝撃を受けたと語っている。しかしフランケンサーラーは、ポロックやニューマン、ロスコのように、一目でそれと分る確固としたスタイルを確立したわけではないし、彼女から啓示を受け、ほとんど同様の手法を使って作品をつくったモーリス・ルイスほどは、形式的に厳密ではない。
紋切り型を恐れずにあえて繰り返すが、彼女は「感性」として突出しているのだ。ルイスは、「フランケンサーラーは、ポロックと私にとっての可能性の懸橋であった」と語っている。当時、ポロックの仕事は圧倒的に突出していたが、その仕事の進み行きはあまりに独自のものであり、つまりポロック自身の特徴と密接に結びつくものだった。ポロックは明らかに、色彩の感覚において劣っていて、その自らの欠点を克服する彼ならではの道筋のなかで、あの独自の作品を生み出していった。それは、絵画を理解する者が観れば誰にでも、他に例をみないほどにユニークで、かつ間違いなく強い力をもった作品だと分るもので、当時の先鋭的な画家ならば、自身の感覚を揺さぶられ、何かしらの影響を受けざるを得ないようなものだった。しかし同時に、それはあまりにポロック自身と結びついたものでもあり、圧倒的な貧しさとともなあるものでもあった。そこには色彩がほとんど存在しないのだから。


ポロックは基本的に不器用で、画面を明暗の対比としてしか捉えることが出来ない。セザンヌマティスのように純粋に色相の関係によって制作することこそが新しく真正な絵画であり、キュービズムのように(オーソドックスな西洋絵画のように)明暗の対比に頼ることは不純で古くさいこととされていた当時の状況のなかで、明暗の対比をどのように克服するかが、彼にとって大きな課題であったことは確かだろう。ポロックはそれを、複雑にうねる複数の線を交錯させ絡み合わせることで、(線とその隙間の)明滅するような明暗の細かな対比を、まさに「霧」のように画面全体に行き渡らせ、それによって明暗の対比がたんに明暗の対比であることを越える、というやり方で実現した。
色彩を抑制するかわりにアルミニウム系の塗料など、様々な種類の(触感や堅さや流動性の異なる)絵具を使って触覚的な幅をもたせること。そして、床に敷かれた布の上に絵具を垂らすという手法により、立て掛けられ、枠に貼られたキャンバスに描くよりも、多様なバリエーションの描く動作(線の表情)を可能にし、同時にフレームと描く身体との関係も変容させた。
ポロックの線は、雑木林のなかで様々な種類の植物が折り重なっているように複雑であり、その様々なレイヤーを行き来しつつ観る行為は、実際に林のなかを歩いて移動する感じに近い。と同時に、床に敷かれた布の上にたらし込まれた線は、明らかに人の身体の動きを強く想起させるものなので、それを観る人の身体の運動の感覚に作用し、しかしそれは(音楽が人を踊らせるようには)直接的に実際の運動を促すようなものではないので、その感覚は、意識以前の「運動の待機」というような次元に留まり、そのことが却って、その人の前意識的な(神話的な次元の)身体的記憶を刺激し、駆動させるようにも思う。
キュービズム的な切り子状の断面を、錯綜する線によってほとんど霧の粒くらいに細かくすることで、線が面状にひろがり、しかしまた、面は常に複数の線の重なりへと解かれてもゆく。基本的に、特定されたフレームとの固定的な関係に縛られているキュービズム的な切り子状の面が、フレームの支配から解かれてふわっとひろがり、粒状にまで細かくなった明暗の対比が、弁証法的な対立から逃れて粒状の明滅となる。
しかしそこには、決定的に色彩が欠けている。


学生時代、生真面目ではあるが面白味のないキュービズム風の絵を描いていたフランケンサーラーは、グリーンバーグの促しによって51年のポロックの個展を観ることで刺激を受け、驚くべき変化をみせる。
最初期のフランケンサーラーの絵は、最初期のポロックと同様に、色彩として決して豊かなものではなく、むしろ貧しくセンスが悪いとさえ思われるものだ。しかし、ポロックに触発されることで、彼女の絵はキュービズム的な堅苦しさから解放されるだけでなく、豊かな色彩まで獲得することになる。
勿論彼女は、ポロックだけを観ていたわけではないのだが、ポロックを観ることによって掴まれた何かによって、その色彩の感覚までを解放することが出来たということが、驚くべきことのように思われる。この事実は、フラケンサーラーがもともと持っていた才能というだけでなく、ポロックの作品そのものが、ポロック以上の可能性を潜在的に持っていることの証明であるように思われる。


つまり、それ以前には、ゴーキーやデ・クーニングのような(しかし、もっとずっと貧しくセンスの悪い)、キュービズムの延長にある、フレームによる統制のきつい抽象絵画を描いていた画家が、ポロックのショックによって、キュービズム的な線や面が、キュービズム的な統制を解かれて漂い出すところに、フランケンサーラーの絵画に特有の状態がある(それを誘発したのがポロックの作品なのだろう)。絵具の状態がそれを観ている者の身体や神経を直接揺さぶるような生々しさが、ふっと浮上してくる。それはいわば、ゴーキーとポロックの折衷的な表現なのだが、しかしそこには、ゴーキーにもポロックにもない、全く別の可能性が、地平が開けているように、ぼくには感じられる。
その作品は色彩や造形的な面ではゴーキーに近い(多くを負っている)とも言えるのだが、ゴーキーの絵画の豊かな色彩が生み出す「幸福感」は、現在の不幸によって要請される「過去の幸福=記憶の絶対化」にあって、つまりそこから決定的に隔てられているという感覚から生まれるもので、それは追憶であり、失われた楽園であって、だからそこには強く知的な制御と距離感が作動している感じがするのだが(だからこそ、フレームが「固い」のだが)、フランケンサーラーは、もっとぶっきらぼうに、無防備に、絶対的過去のような拠り所なしに、直接的に神経的な快楽へと、だらしないまでに開かれている感じがする。この、無防備に世界に開かれている感じこそが、こちらの神経に、段取り抜きに直接「来る」感じを生むのだろう。


デ・クーニングはともかく、ゴーキーの作品をキュービズム的でフレームによる統制がきついとするのは、やや不当なことだろう。少なくとも晩年の作品は、キュービズムではあり得ない豊かで自由な色彩の響き合いがあるし、キャンバスの地の白をひろがりと同時にブランクとしても使うというマティス的な構造もみられる。それでも、視覚的、造形的には近いようにもみえるゴーキーとフランケンサーラーの間には大きな隔たりがあるように感じられる。そして、その隔たりをつくっているのがおそらく「ポロックを観た」という経験なのだと思われる。
ゴーキーとフランケンサーラーとのもっとも大きな違いは、何と言っても、絵具が画布に滲み込んでいるか、いないかという点にあるだろう。晩年のゴーキーの、不確定に漂う色彩は、それでも、表面が加工されたキャンバスの上に筆で描かれたものだ。そこには、筆を通してはいるものの、画家の手と画面の直接的な接触があり、つまり画家の手による意識的、技術的な統制が強く作用している。対してフランケンサーラーの作品では、表面の加工のない生の綿布に絵具が滲み込んでいる。絵具がどのように流れ、どのように滲み込むかということは、画家によるコントロールを越えている。ポロックが垂らし込みによる線を引くとき、画家の手と画布の間に、絵具が垂れるための空間的な隙間があるのと同様に、フランケンサーラーの色彩は、絵具が画布に置かれることと、それが滲み込むことの間に、画家には制御できない隙間(物質的作用)が生じる。この隙間(端的に「隙」)が開くものは案外大きい。ここには、意識的、技術的に形態や色彩を制御するという側面と、流動的な絵具が画面の上で流れ、滲み込むという物質的な作用に任せてしまうという側面とが両立している。というかむしろ、物質のあり様に任せるという側面が強くでている。
モーリス・ルイスが、絵具を画布に滲み込ませる時、そこで要請されているのは、画布と絵具という二層が一体となって、画布=絵具となることで、色彩の非物質的なあらわれを実現させることであった。しかしフランケンサーラーにおいて重要なのはそのことではない。重要なのは、絵具が布に滲み込むという物質的な作用の感触であり、それによって生まれる独自の触感であろう。それは純粋な色彩(視覚)の作用ではなく、どこまでが触覚的でどこまでが視覚的なものなのか、もはや区別がつかなくなるような不純な色彩の経験であろう。そして、画家の手(技術)が作品を構築するというより、絵具と画布との物質的な関係に、その作品の重要な部分を任せてしまう、ということだと思われる。フランケンサーラーは、きわめて無防備に、世界の感触へと身を預けてしまうことが出来るのだ。


再び「アーデン」に戻ろう。フランケンサーラーの作品の多くは、それでも造形的な要素が多分にあり、抽象化されているとはいえ、明らかに風景が描かれているという感触がある。造形的というのはつまり、フレームとの関係によって、ある色彩や形態が配置されているということだ。
しかし「アーデン」はそうではない。ここには風景を想起させるような空間は成立していないし、フレームとの関係で生まれる、造形的なリズム感や視覚的なバランスが考慮されているとも思えない。実際に画面に筆を入れる前に、手近にある紙に試し描きをしたその痕跡がそのまま巨大化したものが目の前にあるかのように、ただ、ずるずるっと引き摺られた、緑やオレンジや焦げ茶色の絵具の塊が、ウンチのような形でそこにあり、その塊のエッジからは、絵具が画布に滲みこんでできたシミがひろがっている。画面全体がひとつの連続性をもった空間として成立していないから、まず最初に、個々の絵具(色彩)の塊とその染みこみの感触こそが 目にはいってくる。
しかしその絵具の塊が、ずるずるっと引き摺られる時の動きは決して単調ではなく、一つ一つのウンチの塊は全て異なる種類の動きの感覚を観る者に想起させる(そしてその色彩もまた、それぞれに非常に微妙で多様な異なるニュアンスを含む)。この、質の異なる動きの感覚が、観る者の身体をざわざわさせるのだ。そしてその動きの感覚は、フレームとの関係によって配置されているのではないから、観る者がそこに距離を設定し、パースペクティブを打立てるより先に(つまり、身構えるよりも先に)、じかに、そのざわざわが懐にすっと入り込んでしまうのを感じざるを得ない。そして、複数のことなる動きの感覚が、無媒介に重ねられていることで、観る者の身体の内でも、複数の感覚が響き合って干渉し合い、より複雑なざわざわが生成される。