●明日は十五夜なのだという(下の写真の、向かって左側にすごく小っちゃく月が写っている)。





●『オレンジ党 最後の歌』(天沢退二郎)を読んだ。オレンジ党シリーズの三十年ぶりと言ってもいい新作が一昨年の暮れに出ていたことはまったく知らなくて、アマゾンで別の本を探している時に偶然みつけた。
決して本をよく読む小学生ではなかったと思うけど、小学生の時に読んだ本で強く印象に残っているものはいくつかある。『オレンジ党と黒い釜』もその一つで、たぶん十歳くらいの時に読んだ。「あとがき」に、続編が来年の秋に出ると書かれていたのになかなか出なくて、筑摩書房に問い合わせを兼ねた手紙を書いたことを憶えている(出版社に「感想の手紙」みたいなのを送ることは柄でもない事で、後にも先にもこの時一回だけのことなのだが、そのくらい「次」が待ち遠しかった)。天沢先生が今、一生懸命書いているところです、みたいな返事を編集部からもらった気がする。この本によってファンタジー好きになったということは特になかったけど。「オレンジ党三部作」が一応完結した時には、ぼくはもう高校生になっていた。その時はさすがに、感慨はあったけど夢中になって読むという感じではなかったと思う。
(「オレンジ党シリーズ」と、同じ作者による『光車よ、まわれ!』は、どちらも本棚の、今これを書いているところからも見える位置にある、改めて読み返すことはまずないのだが、なんとなくずっと見える場所にありつづけている。)
だから、「おおっ」と思って買ってしまった。でも、今の自分が読んで面白いと思うかどうかはちょっと分からないなあとは思っていた。しかし読んでみると意外に(という言い方もどうかと思うのだけど)面白くて、引き込まれた。本当に面白かったんだなあ、このシリーズは、と、改めて思った。
ただ、物語というのは基本的に終わらないものだと思うので、それを完結させるためには何かしらの形で作品に無理を与える必要があると思うのだが、その無理のかけ方がちょっと納得いかない感じではあった。だがそれは、最後のほんの数十ページくらいのことで、それ以外はずっと面白かった。
この本は、「ジュリアン・グラッグの思い出に」捧げられているのだけど、ぼくはこれを読んで、久しぶりに天沢退二郎・訳のアンリ・ボスコを読み返したいという気分になった。『マリクロア』と『シルヴィウス』は持っているのだけど、『少年と川・島の狐』とか読みたいなあ、と。
●あと、もう一つ、小学生の時に読んですごく強く印象に残っている本に『午前二時に何かがくる』(佐野美津男)というのがあって、これはオレンジ党シリーズを読むより前に、図書館で何回も繰り返し借りて、繰り返し読んだ記憶がある。図書館で借りて読んだ本なので手元にはないし、時々思い出しては検索してみたりするのだけど、この本の古本が見つかったことが一度もない(子供の時に借りた図書館に問い合わせても、無い)。こんな本はもともと存在しなかったのではないかという気にもなるけど、この本を読んで強い印象を受けた人は他にもいるみたいで、検索するとウェブではいくつか感想をみつけることが出来る(ウェブ上にあるインタビューで枡野浩一さんがこの本について触れたりもしている)。
この物語は、「この話を聞いた人は同じ話を三人にしないと殺される」という、よくある不幸の手紙的な話を主人公が聞いてしまうところからはじまるのだけど、その話の決着もつかないうちに、話がどんどん予想外の違う方向へとずれ込んで展開していって、そしてそれらは結局大した解決や決着をみることもなく、ただ茫洋とした謎の気配とそれによる不安を募らせていくだけで、そのままなんとなく終わる。この捉えどころのない不安と謎の気配にすごく魅了された感触が今でも残っている。ぼくは昔からこういう、中心も解決もないふわふわした話が好きだったのだなあと、今から振り返れば思う。