●両国のART TRACEで、シンポジウム「今、ここにある美術批評(誌)」。以下は、ぼくの感想というか、聞いていて勝手に考えたことであって、シンポジウムの内容の正確なレポートのようなものでは全くないです。
「批評」という言葉を使うことのめんどくささというのがあって、ぼくとしてはその言葉はなるべく使いたくないと思っているのだけど、星野太さんの発言を聞いてその理由がなんとなく分かった気がした。つまり、「批評」という言葉にはおおざっぱに言って二種類の意味がある、と。
例えば、ある状況があって、その状況に対して従来なされているもの、あるいは常識的なものとは異なる、新たな、刺激的な、創造的な、革命的な、そういうやり方で問い直しを行い、介入を試みることを「批評的な行為」と言うのだとすれば、それは至るところにあり、昔からあり、今もありつづける。そのような批評は遍在する。
しかしそれとは別に、日本という場所で歴史的に「批評」という言葉が担わされてきた特別な位置があり、機能があり、「批評」と呼ばれるものが持たされてきた特別な権威や権力のようなものがある(あった)。しかしそれは、ある特定の地域において、ある特定の歴史的な時期に機能する歴史的な装置であり、例えばそれを「固有名としての批評」と呼ぶとする。「日本」だけではないかもしれないけど、外国のことは知らないので、とりあえず「日本」という場についてのこととして考える。
通常、「批評の終焉」などと言われる場合に問題にされているのは後者の「固有名としての批評」であろう。そこには、文芸批評というメイストリームがあり、サブジャンルとしての美術批評がある。さらにそこには、何人かのキーとなるメジャーなプレイヤー(固有名としての「批評家」を正統に継承する者たち)がいて、その周辺にマイナーなプレイヤーが配置されるというような、権威や権力のヒエラルキーがある、と言える。そしてそこには、正統なプレイヤーの発する共有される「問題」と、それを核とした対話(抗争)が生まれる。「批評」に力があったとすれば、それは個々に書かれるテキストが高度だった(プレイヤーが優れていた)ということでは別になくて、歴史的な装置として「批評」という制度が社会のなかで機能し、一定の権威や権力がそこに働いていたからなのだと言える。
しかし、そのような歴史的な制度としての(固有名としての)「批評」はおそらくもう終わった。固有名としての「批評家」を継承する者はいなくなった。正統がいないのだから、それに対する対抗もあり得ない(対話‐抗争は起こらない)。だが、終わったからこそ、前者の「遍在する批評」が目に見えるような形で顕在化されてきた(永瀬さんの「組立」もおそらくそういうものだろう)。しかしそれは、別に今はじまったことではなく、昔からあり、おそらく今後もありつづける。それは、ヒエラルキーをもたず遍在と遍在するもののネットワークとしてあり、権威を構成しないから、権力も大してもたないで、微弱であり、安定性もない。あらわれてはすぐ消えるかもしれないが、しかしまた別の場所にいくつもあらわれるだろう、というものだ。
だけど、制度のとしての批評の終焉は、人と人とが話しをする(あるいはケンカをする)ための土台、共通する問題意識や語彙の成立を、要するに価値の一般的基準(正しさ)の成立を、あるいは求心的な核のようなものの成立を、むつかしくする。だから、市場や社会の空気、評判のようなものに対抗すること(そこから自律すること、それに対して意識的に介入すること)がむつかしくなる。勝ち馬に乗る、か、孤立する、か、という感じになる。
そういうところに現在の問題があるということになるのではないか。松浦寿夫さんが言う、共有されるべき基本的なテキストがほとんど翻訳されていないという問題や、質問者の言う、日本語で語り、書くことにまつわるどうしようもない限定性(限界)という問題は、「固有名としての批評」が機能していた時代であれば、それほど大きな問題にはならなかったと思う(というか、それらの問題は制度によって吸収され、隠ぺいされた)。
だからきっと、「(固有名としての)批評の終焉(不在)」と、「共有されるべき土台の不在(不成立)」は、別のこととして、後者は後者として前者と切り離して考えた方がいいんじゃないかと思った。