●下の動画を観てにゃんこスターという存在を再認識した(テレビ番組そのまんまの動画アップだから、すぐ削除されてしまうかもしれないが…)。
https://www.youtube.com/watch?v=iZ52aP4OkAo
モノマネというのは、なぜ面白いのだろうか。というか、「真似されている対象」にまったく興味がないのに、「真似されたもの」には強く反応し、惹かれてしまうのは何故なのか。どうしてそういうことが起るのか。「真似をする」というのはどういうことのなだろうか。ハマってしまって、二十回くらいつづけて、繰り返し再生してしまった(欲を言えば、せっかくのパフォーマンスに対してのカット割りがイマイチなのだけど)。
オリジナルのにゃんこスターのネタは、ネットの動画で一回観たくらいで、特にどうとも思わず、「へー、こんなのが流行っているのか」くらいのぼんやりとした印象しかないのだが、それでもモノマネされた「この動画」には、「うわっ、似てる」と即座に反応してしまうのだ。何か、向こうから突き刺さってくるものがある。モノマネによって、遡行的に記憶が刺激され、再構成される時に、最初に観ていた(それほど印象も強くなかった)あやふやなものの細部が、真似られたものに巻き取られるようにして、改めてクリアにたちあがってくるということが起っているのだろうか。
だからここで言う「モノマネ」とは、「似ている」というクリアな「偽の記憶」を作り出す装置・媒体なのかもしれない。
(「ピコ太郎」や「恋ダンス」、「ブルゾンちえみ」などのモノマネをしている動画はネットに山ほどあるのだけど、そういう---オリジナル依存の「やってみた」的な---真似とは根本的に違う何か---オリジナルの記憶を遡行的に再創造するような何か---がここにはあるように思う。それをたんに「クオリティの高さ」という言い方で片付けられるのだろうか。)
当たり前だが、モノマネは「別人」が、ある別の人を真似るというところに意味がある。ある固有名をもった人が、別の固有名をもった人の真似をする。だから、誰が誰の真似をする、というところも重要なのかもしれない。モノマネには、二つの固有性がかさなる必要がある。この時、依り代(メディウム)となる人の方の固有性も重要になる。たとえばこの動画でも、いわゆる「モノマネ芸人(ある程度のクオリティのモノマネができて当然の人、一般的にモノマネをやって当然と認識されている人)」ではない人が真似をしているという点も大きいのかもしれない。
だからこの動画が「刺さる」には、オリジナルである「にゃんこスター」のネタを知っているというだけでなく、朝日奈央野呂佳代という人のタレントとしてのキャラをある程度は知っているという条件が必要となるのかもしれない。
(ぼくは、モノマネ全般に興味があるわけではない。でも、ある特定の「真似られたもの」に強く反応してしまう。たとえば時々、ミラクルひかるの動画を、YouTubeでだらだらと何時間も観てしまうことがある。既に何度も観ている同じものを、それでも繰り返し、また、観てしまう。でも、他のモノマネ芸人の動画ではそういうことはない。相当「似てる」「面白い」と思っても、何度か観れば飽きてしまう。そこには---その「真似る」という行為の質には---どのような違いがあるのだろうか。)
●「絵に描いた餅こそが餅なのだ」という事と、何か関係があるのだろうか。