2019-11-18

●「偽日記」をはじめてから二十年経って、ようやく、タイトルの元となった『女高生偽日記』(荒木経惟)をU-NEXTで観た(意識的に観ないようにしていたのだが、二十年経ったし、まあいいかと思って観た)。だが、八十年代初頭の東京の風景や風俗が写っていて興味深いという以外のところでは、特に関心をそそられるような映画ではなかった。

(そういえばあの頃は、いろいろなところに謎の「ユトリロ風---あるいはヴラマンク風---の風景画」が額に入れて飾ってあったが、さすがに最近あれはあまり観なくなったなあ、とか思った。)

最初の方の(特にクレジットタイトルのところ)は、風景の撮り方がなかなかカッコよくて、おっ、これは、と思ったのだが、徐々に退屈するような感じになってしまった。映画として特に何かやりたいことがあったわけではなく、イケてるサブカル文化人が、その「イケてる」勢いにまかせてつくったという作品なのだろうと思った。ただ、当時のにっかつロマンポルノ的な「型」のなかにあれば、一定の新鮮さはあったのだろうとは思う。

(有名なカメラマン役として出てくる人が、アラーキーというより篠山紀信に近い外見であるところが、ちょっと面白い。)

この映画には、当時、荒木経惟の周辺にいたであろうサブカル文化人とでもいうような人たちがたくさん写っている。糸井重里南伸坊篠原勝之中村誠一、小林のり一、そして赤塚不二夫。八十年代にはテレビや雑誌などに頻繁に出ていた人たちだ。ぼくが知らない(見逃した)いわゆる「業界の人」ももっと写っているのではないか。

びっくりしたのは赤塚不二夫だ(真っ赤なブリーフ一丁の姿で出てくる)。赤塚不二夫がすごく若いということに驚いた。81年の赤塚不二夫はまだこんなに若かったのか。この頃ぼくは中学生だったが、当時のぼくの認識では、赤塚不二夫は既に巨匠であり、特別枠の人で、漫画家として現役というより、サブカル文化人の人脈のなかの重要人物という感じだったと思う(例えば、タモリを見いだした人、というような)。天才漫画家という「キャラ」であり、数々の伝説やエピソードによってそのキャラがメディア的に知られている人というイメージだった。

(調べたら、赤塚不二夫は1935年生まれだから、81年にはまだ46歳だ。映画ではもっと若く見えるが。)

そのような赤塚不二夫が、まだこんなにも若く、こんなにも生々しいのか、と。逆に言えば、赤塚不二夫は、こんなにも若く、生々しいうちに、そのような「位置」に置かれてしまっていたのか、と。それはさぞ、「収まりのつかない」感じだったのではないかと推測される。当時、子供だった視点から見れば、ものごころついた頃から「(既に十分な功績を残した)歴史上の偉い人」として認識していた。でもまだ四十代だったのだ、と。

(驚きの原因の一つには、後年の、アルコールで身体を壊した後の赤塚不二夫の姿の方が、メディアを通したイメージとして強く刻まれてしまっているということもあるのだろう。)

今の年齢のぼくから見たら---さすがに若者とまでは言えないにしても---ピチピチ跳ねていると言っていいくらいの若さだ。この驚きは、主観的な認識(不足)とのギャップによって起こったものに過ぎないのだが、とにかくぼくは、81年という年に、赤塚不二夫はまだこんなにも若々しく、生々しかったのだという事実に衝撃をうけた。

(他にも、写っている人たちは皆当然若いのだが、まあ81年くらいにはこんなもんだろうという想定の範囲内だが、赤塚不二夫は、とにかく想定外に「若々しい」ように見えたのだ。)

(この頃の四十歳代と、今の四十歳代とでは、外見的にかなり違うと思われるので、四十歳代にしてこの若々しさは、同時代的に見ても際立っていたのではないだろうか。)

(追記・全体的に「当時の業界の内輪ノリの感じ」を漂わせる映画のなかで、若い赤塚不二夫の生々しさだけが、その感じを突き破ってこちらに迫ってきた、ということ。)