2023/09/19

⚫︎まとまりのない(ちゃんと調べたわけでもない)思いつきをただ並べる。

60年代から70年代にかけて、アナーキーな大衆娯楽として、一方にヤクザ映画があり、もう一方にピンク映画があったとする(これはあくまで男性的な見方で、女性から見たらまったく別の風景が見えたのだろう)。大衆娯楽の本流としては、ホームドラマがあり、時代劇(チャンバラ映画)があるが、アナーキーな反主流としてヤクザ映画やピンク映画がある。両者どちらも、70年代から80年代へと移行する時期に力を失って衰退していく(ジャンルとして細々と続いてはいる)。大雑把にいって、ヤクザ映画は右翼的で、ピンク映画は左翼的だと言えるだろう。

(内容としては保守的だとはいえ、例えば橋本治が描いた有名な東大五月祭のポスターなどを見ると分かるように、左翼の人もヤクザ映画は大好きだった。)

(それとは別に、左翼的な喜劇映画の系譜というのもあった。初期の山田洋次や、森崎東前田陽一など。)

映画としてみれば、ヤクザ映画に比べてピンク映画は弱いようにも思われる。例えば、右翼的な「暗殺(テロ)」映画としては『日本暗殺秘録』(中島貞夫)があるとして、左翼的な「暗殺(テロ)」映画に何があるだろうかと考えて、『天使の恍惚』(若松孝二)をU-NEXTで観てみたのだが、まったく面白くなくて二十数分で観るのをやめてしまった(あまりにもセンチメンタルに過ぎるように思う)。これは仕方のないことでもあり、ヤクザ映画が主に東映という伝統もあり資本力もある会社で作られていたのに対し、ピンク映画はよりマイナーであり、日活を除けば、技術的にも資本的にもずっと貧しい独立プロダクションという環境で作られていた。左翼は常に貧しい、と。

(だが、低予算で作られる初期のピンク映画はコスパがよくて、利益としてはかなり大きかったようだ。若松孝二は2000年代、『ピンクリボン』というドキュメンタリーのインタビューで、「数十年前に、ビルの一室で、三日間で撮った映画が、今でもお金を生み続けている」と豪語していた。記憶による記述で、間違っているかもしれないが。)

(『天使の恍惚』はATGが製作に絡むアートフィルムであって、ジャンル物としてのピンク映画とは違うかもしれないが、アートフィルムとピンク映画の境界は曖昧で、この「アートとの境界の曖昧さ」もまた、ピンク映画の一つの特徴ではないか。ピンク映画は、ヤクザ映画よりもアートという領域で評価されることも多い。日本では、エロとカルチャーが結びつくことが多く、例えば、80年代のエロ本は同時にサブカル雑誌でもあった、など。今では、それを不快に思う人の方が増えているのかもだが。)

ヤクザ映画もピンク映画も、同じ時期に衰退するというのも興味深い。ピンク映画の衰退はアダルトビデオの隆盛によるとされているし、Wikipediaではその直前の80年代前半が産業としてのピンク映画の最盛期とされているが、(ピンク映画全体を見渡すことはできないので)にっかつロマンポルノを指標として考えれば、80年代に入ると分かりやすく作品の質が低下(あるいは変化)しているように思われる。ヤクザ映画の側から見ると、高倉健が主演の『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』(山田洋次)という作品がヒットし、『北陸代理戦争』を最後に実録路線から深作欣二が撤退する、1977年が象徴的な年だろう。高倉健ホームドラマ化する。高倉健はこれ以降、「ヤクザ映画のスター」から「退屈な大作に出演する大物俳優」になる。ここに、左翼的な喜劇の作家である山田洋次がかかわった。

男はつらいよ』の映画版第一作は1969年。これが90年代半ばまで続くシリーズとなる。寅さんも「ヤクザ」と言えるが、その反社会性は、(1)家族に迷惑をかける、(2)定住せず、家庭も作らない、という程度のものだ。寅さんという「反家庭的存在」がホームドラマに小さな波乱を巻き起こすというパターン。

ヤクザ映画とピンク映画。雑にいえば暴力と性ということだが、社会の中での暴力や性についての捉え方、受け取られ方が、70年代から80年代に移行する時期に大きく変化したということではないか。このような変化があると、変化の前のことは、後になってからでは感覚的にも(というか、「感覚的なこと」こそが)わからなくなる。最近では、おっさんでも平気で外で短パンを履いているが、成人男性が短パンを履いて出歩いても奇異に見られなくなったのはわりと最近のことであるはずだが、もう既にそれがいつごろからのことか忘れてしまっている、など(吉田豪はいつから短パンなのか…)。