2019-11-15

●メモ。LUCKY TAPESの新しい曲。

LUCKY TAPES – Actor (Official Music Video)

https://www.youtube.com/watch?v=EQApmmLyFqQ

●そして、みんなが大好きなSIRUP。

SIRUP - Slow Dance feat. BIM (Official Music Video)

https://www.youtube.com/watch?v=OOvIH_BaNoM

SIRUP - PRAYER (Official Music Video)

https://www.youtube.com/watch?v=K2Ozf-chILM

Shin Sakiura · SIRUP Cruisin' (feat. SIRUP)

https://www.youtube.com/watch?v=InzFC1WruL0

showmore - now (feat. SIRUP) (Official Music Video)

https://www.youtube.com/watch?v=RhBwlkKfJ10

●おかもとえみのソロアルバム。

おかもとえみ/『待つ人』Music Video

https://www.youtube.com/watch?v=s0p-Cl4z1Wk

おかもとえみ/『僕らtruth』Music video

https://www.youtube.com/watch?v=_Am-hg-SUKo

●最近のKIRINJI。

KIRINJI - Almond Eyes feat. 鎮座DOPENESS

https://www.youtube.com/watch?v=xB5SImW6mGA

KIRINJI - killer tune kills me feat. YonYon

https://www.youtube.com/watch?v=Y36b8_WFejI

●Mega Shinnosuke、よく知らないけど面白いっぽい。

Mega Shinnosuke - O.W.A.(Official Music Video)

https://www.youtube.com/watch?v=dN_aaUnvURQ

Mega Shinnosuke - 桃源郷とタクシー (Official Music Video)

https://www.youtube.com/watch?v=C2NEyroeugI

●その、「桃源郷とタクシー」にコーラスで参加しているTempalayのAAAMYYY

AAAMYYY - KAMERA feat. TENDRE (Music Bar Session)

https://www.youtube.com/watch?v=vrpp5zg12tw

●soratobu sakanaのアルバム「World Fragment Tour」は全曲YouTubeで聴けるのか。

ミックスリスト World Fragment Tour

https://www.youtube.com/watch?v=uu_hXVGMyOs&list=OLAK5uy_m1VCnGMnxOrlgK6j2L3LgxRgv5Beaih-8

2019-11-14

●最近なぜか、海外の連続ドラマやネット配信オリジナルのドラマ---その多くはとても高いクオリティでつくられている---を観ていて、途中でふと、「上手な脚本の書き方マニュアル」を見せられているような気持ちになって引いてしまう、ということが多くなった。最初は普通に面白く観ているのだが、ある地点ですっと冷めてしまって、それ以上観続ける根気がなくなってしまう。要するに段取りの問題なんだよな、という虚無な感じに支配され、作品(の内容)へと向かう熱い気持ちが保てなくなって、観るのが面倒になる。

(むしろ、あまりクオリティの高くない、ゆるく作られたものの方が、長く観続けられることが多い。YouTubeツイキャスショールームなどのだらだら配信とか。)

(その理由の一つに、ネット配信によって、大型レンタルソフト店以上に、コンテンツの選択肢が多くなってしまったということもあると思う。エンタメ的な意味でのクオリティの高い作品は数多くあって、「クオリティが高い」というだけでは希少価値---他の作品ではなく「この作品」を観続けるべきだというモチベーションを維持するためのもの---ではなくなってしまっている。)

作品から受け取りたいものは、視聴者の関心のありようや感情を操作して、その興味を持続的に引きつけておくための技法やその上手さ下手さなんかじゃなくて、もっと別の、何かをかき立ててくれるようなアイデアや思想、あるいは細部の手触りや感触なんだ、と思ってしまう。

●たとえば、分析欲を喚起するような作品というのはある。「上手な脚本の書き方マニュアル」を感じたとしても、それにうんざりする度合いよりも、分析したい欲の度合いの方が上回る場合はある。おそらくそういうものには、視聴者の関心を引き続けるための技法以上の何かがある。少なくとも、そこに何かが隠されていると「思わせる(匂わせる)」だけの何かはある。

●差し迫った必要性があるか、あるいは何かしらの「熱い気持ち」が惹起されない限り、できるだけ何もせずにぼんやりしていたい、と思ってしまう。

(あと、何にしろ、人の気持ちを強い力で巻き込もうとする働きに対して、無意識のレベルで距離を取ろうとしてしまうところがあるように思う。)

 

2019-11-13

東工大で講義(『この世界の片隅に』におけるフィクションの機能について)。午前中の授業だったので、いつもなら寝るくらいの時間に起きて、ほとんど乗ることのない、混んだ時間のバスや電車に乗る(ラッシュのピークは過ぎていたが)。ただ、横浜を経由すれば、大岡山は思ったよりも近い。

パワポがあるおかけで、頭が真っ白になって沈黙がずっとつづいてしまうのではないかという恐怖はなくなったけど、人前で「話す」ということは何度やっても得意にはならない。

(普通に人と話していても、固有名が出てこないということが本当に多くなってきているので---なんであの名前が出てこない、と、普段頻繁に使っている名前や作品名がとつぜん出てこなかったりする---パワポにちゃんと固有名を入れておかないと不安だ。)

2019-11-12

●メモ。「アイドル三十六房」で知った、マイクロウルーガ・ラボラトリー。

MIC RAW RUGA(laboratory) - CONCORDE [MUSIC VIDEO]

https://www.youtube.com/watch?v=S7Jh3Z6GjIQ

MIC RAW RUGA(laboratory) - PARTY PEOPLE SAY YEAH(Live 181126)

https://www.youtube.com/watch?v=8wbFYZQDhec

SUMMER OF LOVE (Demo)

https://www.youtube.com/watch?v=bo8q7uLV05k

●soratobu sakana、新たな段階に入った感じ。

パレードがはじまる

https://www.youtube.com/watch?v=tSGBV3ogmUY

踊り子たち

https://www.youtube.com/watch?v=aC-V-2VurFM

sora tob sakana/flash

https://www.youtube.com/watch?v=-DNC7HDvXq8

流星の行方

https://www.youtube.com/watch?v=eC2AR3KJtsk

2019-11-10

●『この世界の片隅に』(片渕須直)について講義をする予定があるので、『この世界の片隅に』(こうの史代)を読み返す。

この世界の片隅に』(片渕須直)がすごい作品であることは間違いないのだけど、原作を読んでしまうと、過不足のない形で成立しているのはやはりオリジナルの方で、アニメ版は決定的に重要なものを欠いているのではないかという感じを受けてしまう。これはあくまで「原作」を読んだことの遡行的効果であって、原作を読まなければそんなことは思わないのだが。

(決定的に重要なものとは、勿論、原作ではすずさんの分身であるかのように描かれている、リンさんをめぐるエピソードのことだ。だから、リンさんりエピソードを追加した『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』がつくられなければならなかったというのは納得できる。しかし、一度完結した作品に、新たに何かを付け足すというのはとても勇気のいる---リスクの高い---ことだと思う。下手をすると、前につくったものも含めてすべてを台無しにしてしまいかねないから。)

とはいうものの、アニメ版によって、この『この世界の片隅に』という物語に、感覚的な強さと精度、そして歴史考証的な高い解像度が付け加えられ、もともとの物語に含まれていた潜在的可能性の別の次元が開示されたことは間違いないだろうと思う。

よく、原作とそれが映画化されたものは「別物」だということを言うし、その言葉が当てはまる場合も多いだろう。しかし、『この世界の片隅に』においては、原作とその映画化されたものとは、並行的でありながらも、互いに影響を与え合っているという関係にあるように思う。

勿論、まずオリジナルがあって、それがその後に映画化されるのだが、しかし、既にアニメ版『この世界の片隅に』が出来てしまった後は、あたかもそれがはじめから同時並列する二本の線としてあって、互いを触発し合うことによって、その効果として『この世界の片隅に』と呼ばれる(そのどちらか一方には還元されない)フィクションが立ち上がっているかのように感じられる。

(そのような、並行的緊張関係が成り立っているのは、アニメ版『この世界の片隅に』の方に決定的な欠落---リンさんをめぐるエピソード---があるためだ、ということも考えられる。アンバランスによってかえって、相互の干渉性が高まっているというような。そうであれば、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の完成によって、並行関係に変化が生じることも考えられる。)

2019-11-09

●トーキョーアーツアンドスペース本郷に「FALSE SPACES 虚現空間」を観に行った。

https://www.tokyoartsandspace.jp/archive/exhibition/2019/20191012-6880.html

●ぼくには、永田康祐の作品が面白かった。

(おそらく、AIによるテキストの自動読み上げだと思われる)音声ガイドを地図として、展示空間を巡ることになる。つまり、個々の作品の横にキャプションによるテキストが提示されている状態とは異なり、「順路」が指定される。初見の段階では、空間は並立的には立ち上がらない。まずは一度、順路に従って、線的に展示された物に関する情報を読み込まなければならない。

そしてその後、あらためて展示を見渡す時、継起的な順路とは別の、並立的な配置として、展示空間を読み直し、見いだすことになる。

たとえば、「Function Composition」では、「スポット修復ブラシツール」が空間的な文脈=フレーム(実像、虚像、鏡像、透過像など)の違いを認識しないことを利用してつくられた、多重的なフレームが相互浸透したあり得ない空間のイメージが提示されているし、「Semantic Segmentation」では、画像からテキストを生成する装置(アルゴリズム)が文脈=フレームの違いを認識しないことによって生じる、元の画像と生成されたテキストとの間の違和感が提示される。これはどちらも、機械(計算機?)が文脈の違いを認識できないことによる「ある異質な状態」が示されている。そしてそれに対置するように、「Artforum 13巻4号」では、人間によって意識的に行われた「異なるフレームの並置・混合」として、ラウシェンバーグの作品が紹介された雑誌が置かれている。

機械的なエラーによる異質な文脈の跨ぎ越え(「Semantic Segmentation」)と、人による意識的な多文脈の並立状態(「Artforum 13巻4号」)、そしてその中間として、機械的なエラーを利用した意識的な多文脈の相互浸透(「Function Composition」)が、一つの空間のなかに並立的に配置されていることを意識することで、改めて空間を別のものとして読み直す。

また、画像とそこから生成されたテキストが並置される「Semantic Segmentation」、ブラックホールという知覚不能なものを、二つの別のやり方で視覚化した画像を並置する「2種類のブラックホールの画像」、マケドニアという一つの歴史的地名の使用に関する二つの国の政治的抗争を示す二本のワインを並置する「2本のマケドニアワイン」、数学的に同値なものの二つの異なるあらわれを並置する「三目並べと数学ゲーム」と、「二つの状態を並置する」異なるやり方を示す作品が、空間のなかに配置されているということも意識される。

展示空間は、その読み方によって、異なる文脈として立ち上がる。