2019-11-14

●最近なぜか、海外の連続ドラマやネット配信オリジナルのドラマ---その多くはとても高いクオリティでつくられている---を観ていて、途中でふと、「上手な脚本の書き方マニュアル」を見せられているような気持ちになって引いてしまう、ということが多くなった。最初は普通に面白く観ているのだが、ある地点ですっと冷めてしまって、それ以上観続ける根気がなくなってしまう。要するに段取りの問題なんだよな、という虚無な感じに支配され、作品(の内容)へと向かう熱い気持ちが保てなくなって、観るのが面倒になる。

(むしろ、あまりクオリティの高くない、ゆるく作られたものの方が、長く観続けられることが多い。YouTubeツイキャスショールームなどのだらだら配信とか。)

(その理由の一つに、ネット配信によって、大型レンタルソフト店以上に、コンテンツの選択肢が多くなってしまったということもあると思う。エンタメ的な意味でのクオリティの高い作品は数多くあって、「クオリティが高い」というだけでは希少価値---他の作品ではなく「この作品」を観続けるべきだというモチベーションを維持するためのもの---ではなくなってしまっている。)

作品から受け取りたいものは、視聴者の関心のありようや感情を操作して、その興味を持続的に引きつけておくための技法やその上手さ下手さなんかじゃなくて、もっと別の、何かをかき立ててくれるようなアイデアや思想、あるいは細部の手触りや感触なんだ、と思ってしまう。

●たとえば、分析欲を喚起するような作品というのはある。「上手な脚本の書き方マニュアル」を感じたとしても、それにうんざりする度合いよりも、分析したい欲の度合いの方が上回る場合はある。おそらくそういうものには、視聴者の関心を引き続けるための技法以上の何かがある。少なくとも、そこに何かが隠されていると「思わせる(匂わせる)」だけの何かはある。

●差し迫った必要性があるか、あるいは何かしらの「熱い気持ち」が惹起されない限り、できるだけ何もせずにぼんやりしていたい、と思ってしまう。

(あと、何にしろ、人の気持ちを強い力で巻き込もうとする働きに対して、無意識のレベルで距離を取ろうとしてしまうところがあるように思う。)