●実は、今頃になって「ガンダム」をはじめて観ている。なるほど、これは本当に革新的な作品で、SFアニメと言えばせいぜい「ヤマト」か「999」くらいだった時代にいきなりこれが現れたら驚くだろうと思った。それに、後続の作品へ影響を与えた点も多々見て取れて、いろんなことが「ここ」からはじまったのだなあという感じをひしひしと受ける。ただ、今観て、「作品」として熱中できるかというと、それはちょっと難しいとは思った。関係ないけど、「クラウ・ボウ」という名前(音)が頭にこびりついてしまった。
●あと『ガサラキ』を観た。この作品について熱く語りたいという気持ちにまではならないものの、とてもバランスよく、完成度の高い作品だと思った。軍需産業に携わる豪和という一族を軸に、国際紛争の話からはじまり、それが主人公のアイデンティティの問題を通じて歴史(伝奇)の話に転じ、現代に戻って右翼によるクーデターから日米対決へと話が進む。社会的な背景(九十年代)をかなりかっちりと踏まえ、政治的にもけっこう踏み込んだ内容(反米的、右翼的)。映画やテレビドラマでは、ここまで大きい話をつっこんで展開して、かつ説得力をもった表現とするのは困難だろうけど、アニメであれば、「ロボットアニメ」というジャンルのお約束とクオリティを満たしていれば、ここまでやることも可能なのだという可能性を示していると思う。アニメでは、ロボットやメカのデザイン、そして戦闘シーンのクオリティとか、キャラクターの萌え的完成度とかがクリアされていれば、観客はかなりのところまで「ついて来てくれる」ことが期待できるので、そのなかでいろいろ大胆なことも出来るのではないか。こういう言い方だとロボットアニメとしての完成度が「つけたし」みたいに聞こえてしまうけど、そうではなく、ロボットアニメとしての技術的な蓄積や集約が、この作品の説得力を支えてもいる。何十年というロボットアニメの歴史がなければ、そもそもこの作品は成り立たないだろう。
ただ最終回が弱いというか中途半端というか、なんならいっそ、アメリカ大統領とクーデターの首謀者「西田先生」という二人の人格者による決断というところで終わってもよかったのではないかと思った。冒頭の和歌がちょっと恥ずかしい。西田先生のモデルは西田幾多郎なんだろうか。
●あと、「ガンダム」と平行して『機動艦隊ナデシコ』を観ている。自分は何故、何のためにこれを見ているのだろうかと半ば疑問を感じながら観ている。とはいえ、自分はこれを決して嫌いではないのだなあと思いながら観ている。「ガンダム」と並行して観ていると頭のなかで話が混ざってしまう。
●近所のツタヤが閉店してしまう前に、『ラーゼフォン』を観ておきたいと思っているけど、間に合うかどうか(貸出は24日まで)。