●『機動警察パトレイバー the Movie』(押井守)をブルーレイで。「パトレイバー2」は傑作なので折に触れて観直すことも多いのだけど、この劇場版一作目は久しぶりで、おそらく十数年ぶりくらいで観た。どんな話だったかほとんど忘れていたが、こちらも素晴らしい。というか、今観るとこっちの方が好きかも。
出自が不明な天才的なプログラマが、広く使われている工業用レイバー(ロボット)の操縦を制御するOSに暴走する因子を埋め込んで自殺する。そして暴走事故が多発。警察が暴走のトリガーとなる因子を探ってゆくと……、という話。こういう話のパターン(プログラムに隠し因子が仕込まれる)は、この後けっこう使われるようになるけど、これがつくられた89年当時ではかなり新鮮だったはず(例えば黒沢清の『CURE』も、コンピュータとかプログラマとかは出てこないけど、人の精神に暴走因子とそのトリガーを埋め込むという話だった)。
でも、「OSに暴走因子が仕組まれていた」と言っても今の観客ならすんなり受け入れられるだろうけど、89年の段階でどれくらいの人が理解できたのだろうか。ぼくもその時点で「OS」がなんのことなのか全然わかってなかったと思う。
89年といえばバブルの絶頂の年で、パトレイバーシリーズはその前後にたちあげられた話なので、かなりバブル感がある。バビロン・プロジェクトという東京湾全体を埋め立てる計画が進行中だったり、そのための作業用レイバーの需要で篠原重工という会社が急成長したり、急成長の裏でいろいろ汚い工作もあったようだという話があったり。建築業と重工業がイケイケで、現場作業のための大型ロボットがどんどん売れて景気がいいという設定は、今からすると古い感じがする(95年の「攻殻(GHOST IN THE SHELL)」になると、世界観は一気にIT化され、大型ロボットは消え、タチコマにまでサイズダウンされる)。大型ロボットアニメには、マジンガーZとかゲッターロボのような系列の非リアルなスーパーロボットと、ガンダムみたいな系列の、リアルな工業製品としての量産型ロボットの二種類があると言えるけど、バブルがはじけることで、リアルロボットの方がリアルでなくなってしまった。
一方で、「プログラムに危険因子が潜在されている」という情報テクノロジー的で先進的な部分があり、他方で、巨大ロボットが建築ラッシュの風景のなかで暴れ回るという、重工業・建築業こそが経済をけん引し、権力を持っているという時代の世界観が生きている。で、この作品が面白いのは、その「新しさ」にも「古さ」にもどちらに属さないものとして、風景というか、空間というか、地理があるということが強調されているところだと思う。
実際に出てくる風景は、たんなる埋立地である湾岸地帯(湾岸が今のお台場のように開発される以前の状態)と、半分廃墟となったかのような下町(廃墟から望まれた高層ビル群)。そして物語のキーになるのが、東京湾の地形と気象条件。これらは、IT的でも、ゼネコン的でも、重工業的でもない。風景と地形によってリアリティが支えられているというあり方が面白い。
(湾岸地帯の風景の感じは、埋立地、雑草、倉庫、隙間が多い、荒んだ感じ、平坦でだだっ広い非人間的スケール感、と、これも黒沢清っぽい。というか、こういう感じの風景は、この後の九十年代の日本映画で多用される。)
プログラムに危険な因子を仕込んで自殺した天才プログラマの正体や動機については、この作品ではほとんど触れられない。ただ、彼が見ていたであろう風景が、彼を捜査する刑事の捜査過程を通してじっくりと示される。延々と風景を追い続ける過程が、一種のクライマックスでもあり、謎解きの代替ともなっているところが、エンターテイメントとしては異例であり、そしてそれがこの作品の強い印象をつくっている。
(暴走の引き金になるものは何か、という形で、別のところに謎解きの要素はちゃんと確保されてはいる。ただ、犯人の動機が明かされないというのはかなり大胆だと思う。まあ、動機を仄めかすだけで明示しないオープンエンドというのも、この後の九十年代には割と流行るのだけど。)
(延々と風景を見せながら、その背後に硬い口調の観念的なナレーションをかぶせるというのは、「悪い癖」ともいえるくらい押井守がよく使う手であるが、ここでは「捜査」という具体的な行為によって風景の連鎖が根拠づけられているので、ナレーションは抑制され、たんに視覚的なものとしての風景というだけではなく、地理的リアリティが付与されている。)