●『テケテケ2』(白石晃士)をDVDで。『テケテケ』は貸し出し中だったので。面白かった。なんと言うか、定型通りによく出来た作品。最初に女の子たちの関係−感情があり、しかしそれがテケテケというより大きな力−原理と結びついてしまった途端、それは当初の感情から切り離されて暴走する。一方に感情の丁寧な描写があり、もう一方に感情や意志によってはコントロールできない、自動的、機械的反復の強力な作動がある。非人情的な原理−反復の力は、一時的に人間的な感情と重なり、それを表現するものであるかのように振る舞うのだが、しかしもともとそれは別の力であり、結局人間的感情を裏切ってゆく(だから結局、テケテケの起源−物語がいくら探られようと、それが人間にとっての、人間が納得するための物語である以上、それは常に偽の起源でしかないだろう)。この、人間の感情と世界の原理との乖離が、上半身と下半身との切断という形で形象化されているのだろう。白石監督の映画には、よく暗号やアナグラム的なものが出てくるのだが、それは、人間の感情や納得の原理(つまり「物語」)とは、まったく別の原理がこの世界に働いていることを示すように感じられる。
テケテケの動きの「速さ」は、おそらくコマ落としによるものなのだろう。実際の具体的な数字は分からないけど、例えば、通常の人間的世界が一秒間に三十フレームだとすると、テケテケは十フレームくらいとか。だからこの二つの速度は、同じ世界の異なる速度ではなく、別の世界に属する別の速度であって、だからこそ人間の動きは決してテケテケの「速さ」に追いつくことはできない。
映画において、関係の描写とはほとんどキャスティングで決まるとも言えるのではないか。どのような見かけの人を、どのように配置するかという時点で、関係の描写の多くが既に終了している、というか。いわゆる「有名人」が出ていないこの映画では、見かけの重要性はより高いものとなろう。この作品ではそれがかなり上手くいっているように思えた。
「こんな田舎で…」みたいなセリフが出てきて、設定上は地方都市が舞台になっているみたいだけど、画面に映っている風景を見る限りでは東京にしか見えない。東京ではないとしても、かなり巨大な都市でしかあり得ないんじゃないかと思った。あんなに距離が長い鉄道橋とか。こういう話を成立させる場所の設定は難しい。