2025-06-01

⚫︎図書館にまでいく余裕もなくて借りっぱなしで延滞してしまっていた本を返しにいく。なんか気が抜けてしまって、旅行系YouTuberの動画を貪るように次々と観ていて一日が終わった。

⚫︎「ジークアクス」、8話。ここへきてようやく物語が立ち上がり始めた感じ。でもまだ、滑走路から前輪が離陸した、くらいだろうか。

(ニャアンはサイド2からの難民なのか。だとすると、彼女に戦争のトラウマがないとは言い切れないのかも。前回まではシュウジの頭に載っていて、今回からニャアンの頭に載っている「フリクリ」のカンチみたいな四角いロボットが、ニャアンに人の心を読ませたり、二代目ジークアクスを反応させたりしているのだとすれば、彼女は「本物」ではないのかも ? )

(シュウジはいつも、「~とガンダムが言っている」と言うが、彼とガンダムを媒介していたのはおそらくあの四角いロボットであろう。ガンダムシリーズを貫くマスコットである丸い「ハロ」に対する、謎の四角いロボット。)

⚫︎この作品の中にはしる様々な差異線の一つに、庵野脚本部分と榎戸脚本部分との違いというものあるのだなあ、と。庵野パートと榎戸パートとでは、絵柄からして違う。両方に登場するキャラクターであるシャリア・ブルとキシリアは、パートによって顔つきとかも微妙に違っている。庵野パートは「ガンダム」っぽい絵柄で、榎戸パートは(「エヴァ」的というよりも)「トップ2」や「フリクリ」みたいな鶴巻テイストの絵柄だ。徹底して、噛み合わない二つのものの接合なのだ。

⚫︎「ファーストガンダム」では、一年戦争で地球連邦側が勝ち、ギレンはキシリアに殺され、キシリアはシャアに殺される。だから「ジークアクス」の並行世界は、ジオン側が戦争に勝ったというだけでなく、キシリアがギレンを殺さず、シャアがキシリアを殺さなかった並行世界、でもある。「ファーストガンダム」では早々に敵前逃亡したキシリアが「逃げない」と宣言する庵野脚本はその意味でも味わい深い。

ジオンが戦争に勝ち、ギレンもキシリアも生き残った世界は、ギレン勢力とキシリア勢力の対立と確執が、戦後も持続する世界であり、それはつまり、ザビ家(ギレンとキシリア)に対するジオン・ズム・ダイクン側(シャア)の恨みも持続するということだ(「恨み」と言うより、ザビに対するジオンの逆転を狙う勢力の持続、と言うべきか)。消失する直前のシャアが「アルテイシア(=セイラ)」と口にするので、おお、と思う(アルテイシア=セイラは、キャスバル=シャアの妹、二人の父がジオン・ズム・ダイクン)。ここでセイラの名が口にされることで、より一層「アムロの不在」が強調される。セイラまで出てきてアムロがいないのは不自然、と感じる(移民として地球で育ったセイラは地球連邦軍に属するアムロの戦友)。ここまで「ファーストガンダム」の文脈を引きずっているのかという驚き。

だがこれは、あくまで「ファーストガンダム」由来の文脈であり、これだけだと、「ジークアクス」はジオン側の内紛の物語(ギレンとキシリアの対立と、第三勢力としてのシャア+シャリア・ブル、そしてそれらの関係を背後で支えるニュータイプ思想)ということにしかならない。これに対して、新しい世代、まったく別の「動機」をもつ者たちが(あるいは、地球連邦側でもジオン側でもない、中立地帯としての「サイド6」が)何をもたらすのだろうか。

(「向こう側」が「ファーストガンダム」の世界線だったら、萎えるが…。)

若い世代の三人の人物が示すものこそが、この作品なりの「ニュータイプ思想」ということになるのではないか。旧ガンダムから、シャリア・ブルとキシリアという二人の人物をピックアップしてくるという視点(庵野秀明によるもの ? )は、それはそれとして鋭く面白いが、でもそれだけだと、ガンダムマニアおじさんによる「批評的視点」の提示であるに過ぎない。この作品に期待するのは、古い文脈と新しい文脈という、(世代間対立さえ生み出せない程に)分断された噛み合わないものの強引な接続によって生まれるものは何か、というところにある。