2025-06-04

⚫︎「ジークアクス」9話。時間に少し余裕ができたし、続きが気になったので、今回は、放送終了時間を待ってすぐにアマプラで観てしまった。

今回の主役は、自分の秘めた思い(憎しみ・怒り)を、この機に乗じて果たそうと娼館を全焼させる髪色の薄い方のメイドだろう(「全部燃えてしまえ」と言う)。彼女の、内に隠した意志と怒りと絶望の強さが印象に残った。穿ち過ぎと言われるかもしれないが、本当に印象が最も強かった。

⚫︎とうとうここで新世代と旧世代のガチの邂逅があり、それに伴って、今まで分離していた榎戸脚本と庵野脚本もまた融合する。ようやく面白くなってきたとも言えるが、でもそれによって、ファーストガンダムを知らない人には何のことだかわからない話になってしまっているようにも思う。ララァが出てきて、「シャロンの薔薇」とは実は「エルメス」だった、と(エルメスなのだから、当然、その中にいるのは並行世界のララァということだろう)。予告によると、次回はとうとうギレンが出てくるのか。

(「ジークアクス」を楽しみたいけどガンダムのことは何も知らないという人は、差し当たって劇場版「機動戦士ガンダム3 めぐりあい宇宙(そら)編」だけ観ておけば、必要な前提知識の大体のところは得られると思う。140分あるけど、ファーストガンダムを全話観るよりは負担はずいぶん軽い。)

(余談だけど、「めぐりあい宇宙」では有名なセリフ「あんなの飾りですよ、えらい人にはそれがわからんのです」が聞ける。この、整備兵(?)とシャアとが会話する場面がとても良い場面で、ここで二人の関係はあくまで対等であり、整備兵の「口の悪さ」から仕事に対する自負とオープンな人柄がにじみ出ていてとてもいい感じなのだ。こういう、ちょい役すら厚みを持っている何気なくいいところがちょこちょこあるのが「ガンダム」の良さの一つ。)

⚫︎前々回で、消失する直前にシュウジが「時が見えた」みたいなことを言っていたが、これはファーストガンダムではララァが消失する(亡くなる)時のセリフで、だからシュウジは、シャアというよりむしろララァの化身なのではないかという気もする。ララァ(女性)とシャア(男性)とアムロ(男性)という三角関係が、「ジークアクス」では、シュウジ(男性)とマチュ(女性)とニャアン(女性)の三角関係という形で、性別が反転して反復されているのではないか。でも、だとすると、マチュとニャアンの、どちらがシャアでどちらがアムロなのかわからないが。

⚫︎ジオンから酷い攻撃を受け、コロニー落としの材料にもされたサイド2出身のニャアンには、少なくない戦争の傷があるのだろうし、ジオンへの憎しみもあるだろう(だがそれでも、マチュが拒否した「ジオンの軍服」を抵抗なく着ていて、ここには「難民」として「生き延びる」ことへの覚悟のようなものが感じられる)。一方、戦争中ずっと中立を維持していたサイド6の出身で、かつ親がエリートであるマチュには、戦争の影響がほとんど見られない。彼女の行動の動機は「地球に行きたい」「海が見たい」(つまり「ここから外へ出て自由になりたい」)ということと「シュウジに会いたい」(つまり「恋愛感情」)という、ある意味「お花畑」と言われても仕方ないものだけだ。しかし、深刻な事情まみれで(因果=文脈に縛り付けられ)傷だらけの人物ばかりが出てくる「ガンダム」の中に、こんなに空っぽかつ真っ直ぐ(つまり「純粋」)な人物を存在させるという、そのことがすでにかなり「新たな試み」であるように思われる。

とは言っても、「ガンダムUC」のバナージも、もっと言えばファーストガンダムアムロだって、恵まれた、無自覚な若者という意味では似たようにものだとも言えるかもしれない。しかし彼らは、状況に巻き込まれた途端に、すぐさま自分の行動(そして自分の能力)に対する「社会的な意味」のようなものに目覚める(「エヴァ」のシンジでさえ、自分の持つ社会的な役割の大きさを自覚せざるを得ない)。しかしマチュは、自分がガンダムを動かせる特別な能力を持っている(ニュータイプである)ことによって背負わされる社会的責任や「人類におけるニュータイプの意味」のようなものにまったく無自覚で、ただ自分の動機、自分の欲望のみに従って突っ走る。このことが、「ガンダム」の中では決定的に新しいのではないか。このような主人公が「ガンダム」世界に何をもたらすのか。

(その意味で、マチュこそが「無自覚な(目覚めない)アムロ」なのかもしれない。)

(とはいえ今のところ、マチュの「自分自身の動機の忠実な行使」は、大人であるシャリア・ブルの策略にまんまと利用されているだけだ。それは、「まあ、普通そうなるよね」という常識的な展開でしかない。「子供(若者)の気持ち」は、大人に搾取され、大状況に動員され、利用される。それこそが「戦争」の内実だ、とも言える。あるいは、マチュは実は一方的にジークアクスの「隠された意思」にただ導かれているだけ、とも言える。マチュの「動機」はこれらとどうかかわることになるのか。)

(もちろんそれとは別に、大人は大人で、シャリア・ブルはシャリア・ブルで、戦争を回避するために必死で動いているわけだろう。子供を利用してでも。)

⚫︎今回は、コモリの嫌な奴っぷりが全開だった。