2022/11/24

●『閃光のハサウェイ』を改めて観直した。一回目に観たときには、なんでガンダムが宇宙に浮いていてそれをわざわざ取りに行かなくてはならないのかよく分からなかった。二回目で、発注したガンダムを、用心のために「空中受領」する事にしたとセリフでチラッと触れられているのを確認したが、それ以上の状況説明はないようだ。あたかも専門用語であるかのように「空中受領」という言葉がいきなり出てくるがおそらく造語で、あらゆる説明をザクッと省いて、たった一言の造語をもってそのシチュエーションの根拠としてしまうというところに、この作品の基本的な方針が表れているように思う。ガンダムが宙に浮いていて、人員が出払った後での緊急事態のため、ハサウェイがガンダムを技量が充分でないパイロットと一緒に取りに行かなくてはならなくなる、という流れからの空中戦が、この映画のクライマックスなのだが、そのクライマックスを支える状況の根拠が、説明抜きで示されるたった一言の造語であるというところに痺れる。

交わされる会話も、物語の進行も、説明抜きで最小限のしるしだけを示して、「これで察しろよ」というような感じで進んでいく。それでいて、テンポ良くサクサク進んでいくというより、とても完成度の高いビジュアルでじっくり見せていく感じ。ギギというヒロインは、ニュータイプ的な能力なのだろうが、過剰に勘が良く、ちょっとした徴候や少ない言葉から、相手の置かれた状況や考えを素早く察知する。故に、会話において説明や前置きをせずにいきなり核心だけを言う。だから、会話の相手(そして観客)は、その唐突な言葉、文脈を欠いて気まぐれに移ろうようにも見える言葉の推移から文脈や意図を探らなければ(察しなければ)ならなくなる。このことがこの作品の「会話」を、紋切り型ではない魅力的なものにしていると思う(一見気まぐれのように見えて、実はとてもハイコンテクストな会話、これはギギが参加する会話に限らない)。そして、この作品そのものも、ギギの言葉と同調するように説明を最小限に省く。それによって観客に強いられる軽い緊張と集中が、隅々まで丁寧につつくられたこの作品をより丁寧に味わうことを促すように思う。

ただ、「察する」には最低限の知識は必要で、この作品の「奥行き」を感じるためには「逆襲のシャア」を観ている必要はあるだろうと思う。ぼくもガンダムオタクではないので、ハサウェイという人物について「逆シャア」で描かれている以上のことは知らないのだが。いや、違うか。「逆シャア」を観ていなくても、ハサウェイという人物に、何かしらの深い奥行きがあることは、この作品だけで察せられるか。

(『閃光のハサウェイ』を観てハサウェイという人物に惹かれて「逆シャア」に遡行する、ということも普通にあり得るか…。)