2022/11/20

●『閃光のハサウェイ』が面白かったので、宇宙世紀シリーズの時系列で「ガンダムUC」と「ハサウェイ」の間に位置する『機動戦士ガンダムNT』を観てみたのだが、これはイマイチだった。

ガンダムを多く観ているわけではないのであまり断定的なことは言えないが、ニュータイプという概念は、ガンダムシリーズを支える重要な概念であると同時に、大きな弱点でもあるようなものだと思われる。ニュータイプという語には、人類の新しいステージのあり方を表すということ以外に、具体的な内容はほぼなくて、とても曖昧でフワッとしている。しかし逆に、具体像がなくあやふやであることによって、さまざま作品において、作品にさまざまに異なる陰影や表情を与え、さまざまな可能性の形をまとうことができている。

例えば今放映されている「水星の魔女」では、「魔女」という概念はニュータイプのバリエーションであるだろうし、それに対し、ペイル社のエランは、偽のニュータイプとしての強化人間のバリエーションと言えるだろう。状況に対して何らかの「新しさ」を持ち込むニュータイプに対して、オールドタイプの愚かさによって生み出された「偽の新しさ」としての強化人間の存在とその(愚かな人間たちに使い捨てられる)悲劇という構図は、「ガンダムUC」にもあるものだ。

ニュータイプという概念の曖昧性は、それが曖昧であることによって、ガンダムシリーズを貫いてさまざまなあり方で機能し、シリーズを特徴づける概念となることができている。しかし、そもそもがあまりにフワッとしているので、そこを深掘りしたり、それにきちんと定義を与えようとすると、とても安易なスピリチュアルな感じに落ち着いてしまう。そもそも元々の設定が、単調なスピリチュアルにしかなりようがないような脆弱なものに過ぎないから。

設定が弱いが故に、さまざまな状況に転用できるバリエーションと色付けが可能となるが、しかし、深掘りしようとした途端に、最初の設定の弱さが露呈してしまう。言い換えれば、常に未来に開かれた仮定の状態としてあって、中身がきっちりと確定されていないということこそがニュータイプという概念の強みであって(おそらくそれが、ガンダムというシリーズを長生きさせている理由の一つではないかと思う)、それをしっかり確定させようとすると、途端に色褪せてしまう。

ガンダムNT」は、ニュータイプという概念を真面目に追求しようとしたが故に、薄っぺらなスピリチュアルになってしまったということではないか。