⚫︎「ジークアクス」の感想をネットでみていて思うのは、多くの人に、並行世界(可能世界)とループ世界(永劫回帰)とでは概念が異なるということが理解されていないのかな、ということだ。「並行世界のリアリティ」と「ゲーム的リアリズム」は別ものだ(厳密に考えれば、「ゲーム的リアリズム」は別に「永劫回帰」ではないのだが)。同じ世界が無限に並列的にあるということと、同じ出来事が無限回反復されるということとは違う。
(物語論的には、「双子の主題」と「母・娘の主題」とは違う、というように違う。)
ただ、単線的に展開される物語においては、並行世界はループ世界として表現されがちだ。たとえば、並行世界ものであるはずの「シュタインズゲート」の物語が、岡りんの視点(岡りんの主観)としてしか構成されない以上、ループもののように見えてしまうし、その違いが分かりにくくなる。
でもそれは、文化祭の前日が無限にループする「ビューティフルドリーマー」とも、ほむらが世界を何度も繰り返し反復させようとする「まどマギ」とも違う。「ゴジラSP」は、宇宙が「この宇宙しかない(あるいは、並行宇宙があったとしてもそこにはアクセスできない)」という前提で成立する話だろう(「この宇宙」の中で未来と過去との間に無限回の情報のやりとりがある、という世界だろうとぼくは解釈している)。「エヴァ」も、反復世界であることを匂わせる感じで終わっている。
(「シュタインズゲート」でループしているのは「岡りんの主観」であって「世界そのもの」ではない。)
だが「ジークアクス」はそうではなく、世界は並列している(ようだ)。並列世界の感触を、ループではない形で表現しようとしているところが面白いのではないかと、ここまで観ていて(ここまでの段階としては)思う。
(ひとまず、並行世界と永劫回帰とでは概念が異なることを認めつつ、その上で、実はこの二つは同値なのだ、と主張することはできるだろう。「ゴジラSP」のように、《「この宇宙」の中で未来と過去との間に無限回の情報のやりとりがある》という形の永劫回帰があるのならば、それは実質的に同時並立的な世界が無限個あることと変わらないよね、とか。)