●『涼宮ハルヒの消失』と『長門有希ちゃんの消失』(どちらもアニメ版)をつづけて観る。「消失」で示されるのは世界改変であって並行世界ではないのだけど、しかしここには並行世界的な感覚が強くある。原作者の谷川流は、『涼宮ハルヒの分裂』、『涼宮ハルヒの驚愕』で並行世界モノをやっているけど、成功しているとは思えず、むしろ「消失」の方が「並行世界」感が強い。だからこそ(別の原作者による)『長門有希ちゃんの消失』という作品を生んだのだと思う。「涼宮ハルヒの…」と「長門有希ちゃんの…」という二つの作品が並立することで、元々オリジナルにあった「並行世界」感が顕在化される。
そして「長門有希ちゃんの…」が特異なのは、並行世界の長門有希の心に、オリジナルの「涼宮ハルヒの…」の長門有希と思しき魂が宿ってしまうというところだろう。もしオリジナル作品が存在しなかったら、これはたんなる二重人格モノということになるが、オリジナルが存在することによって、人格の変化(二重化)のなかに、濃厚な並行世界(世界そのものの二重化)の匂いが宿ることになる。
世界の並立化(多重化)は、おそらく世界の繰り返し(「エンドレスエイト」のような時間の反復)と、究極的には(無限と永遠という形で)重なると思われるが、そこへと至る過程は異なるように思われる。要するに、空間の外に考えられる空間と、時間の外に考えられる時間の違いということになるのだろうか。