●お知らせ、その一。「群像」2017年1月号に、津村記久子『浮遊霊ブラジル』の書評(「見えないもの」との多様な関係)を書きました。津村記久子の小説の書評を書いたのは三度目ですが、どれもタイトルに「関係」が入っています(『とにかくうちに帰ります』の書評が「関係のなかで関係が考える」、『ウエストウイング』の書評が「媒介が思考し、関係が対話する」)。そして、作家の「関係」への関心が、だんだん抽象的で非世界的で微かなものへと変化しているように思います。関係があるかないか分からない、というか、ほぼ関係ない、というところに(こそ)関係を見出そうとしているような感じが面白いです。
●お知らせ、その二。けいそうビブリオフィルに連載中の『虚構世界はなぜ必要か?/SFアニメ「超」考察』の十二回め、「量子論的な多宇宙感覚/『涼宮ハルヒの消失』『ゼーガペイン』『シュタインズゲート』(2)」が公開されています。今回は、『涼宮ハルヒの消失』について書いています。
http://keisobiblio.com/2016/12/07/furuya12/
「消失」は一応、あらすじ的には決断する話だといえると思います。長門有希が世界の改変を決断し、キョンが元の世界への復旧を決断する、と。しかし、この物語はむしろ「決断に重要性はない」という感じを強く抱かせます。まず、キョンの決断は予定調和であり、キョンが元の世界を選ぶに決まっていることは観客には容易に予想ができます。
そして、長門の決断は奇妙です。長門は、三年前から、自分が三年後の12月18日に世界を改変してしまうことを知っていたはずです。さらに、その決断が間違いである(誤作動の結果である)ことも知っていたはずです。そうであるにもかかわらず、その当日に「そのような決断」を下してしまうことを避けることが出来ないのです。決断を避ける決断が不可能であるという時、決断とは何かよく分からなくなります。
この奇妙さは、青山拓央が「分岐問題」という形で書いていることと似ています(『時間と自由意志』第一章)。可能な二つの歴史、AとBがあるとします(例えば、私は病院に行く/行かない、など)。そして、ある時、私の決断Xによって、歴史Aが現実となる、とします(体温計が39度を指していたので病院に行くことにした、など)。しかし、この決断Xが、歴史Aと歴史Bとの分岐点でなされたとすると、分岐点そのものは歴史AとBとで共有されているので、歴史Aに固有のものとは言えず、決断Xがあったとしても、歴史Bの方が現実になることもあり得ることになってしまいます。
決断Xが歴史Aに固有のものであるためには、分岐点から枝分かれしてAの方へ少し進んだところでなされる必要があります。しかし、そうだとすると、歴史はすでにAの方へ分岐しているので、決断Xは分岐(可能性の現実化)の原因とはなり得ないことになります。
ここから次の三つの帰結が考えられます。(1)世界に起こる出来事はすべて既に決定している=単線的決定論。(2)多数の可能性から一つの現実がただ偶然によってだけ選ばれる。偶然がすべてを決める。(3)可能な世界はすべて(無限にある多世界のどれかとして)実在している。この三つのどの世界観でも「決断」に意味がないことになります。そしてこれは、物理学的な次の三つの世界像と重なります。(1)時間対称的な物理法則の世界。(2)量子力学観測問題による偶然の導入と時間対称性の破れ。(3)エヴェレットの多世界解釈
仮に、「消失」が長門有希を中心とする物語であるとすると、この物語の世界は単線的決定論的だと考えられます。長門が世界改変を決断することも、キョンがその後に改変前の世界への復旧を決断することも、あらかじめ決まっていたことになり、ただ、「いま・ここ・わたし」を生み出すキョンの視点が一定の順路で事の顛末の線の上を移動しているだけとなるでしょう。
しかし「消失」の世界には、長門より上位の存在としてのハルヒがいます。ハルヒは、長門の力をもってしても制御できないので、長門ハルヒに振り回されることで、避けようもなく誤作動を起こしてしまうのだ、とも考えられます。この場合、単線的決定論の原理より上位にあるハルヒという「絶対的な偶然性」によって、世界に可能性と偶然が呼び込まれることになり、未来が不確定に開かれた(2)の世界となります。しかしここでも、現実を決定するのは偶然(=ハルヒ)であって、「決断」ではありません。
どちらにしても、「消失」の世界において「現実」は一つです。旧世界と改変世界とで、どちらか一方が現実ならば、もう一方はフィクション、あるいは夢ということになります。二つの世界は現実の座をめぐって排他的に抗争しています。
そこに多宇宙(複数の現実)の香りをもたらすのは、スピンオフ作品である『長門有希ちゃんの消失』でしょう。ここでは、オリジナルでは消されてしまった(現実の座を得られなかった)改変世界が舞台となります。そして、改変世界長門と、 (『長門有希ちゃんの…』の作品世界では「夢」としてすら存在しないはずの) 改変前世界のオリジナルの長門が交換されたかのような出来事が起こります。互いに閉じられているはずの二つの世界が、密かに交流していたと言えるのです。しかしそのことを、作中世界の人物は誰も知ることはできません。このような状況で、作中人物に多(他)世界について考えることはどのように可能でしょうか。