●ふと思った、どうでもいいこと。ひざまくらは、何故、膝枕なのか。実質的には腿枕だと思うのだけど。というか、ぼくの「膝」という語に対する理解が間違っているのか。膝は、膝小僧や膝関節の部分に限らず、腿と脛との間の、かなり広い部分を指す言葉なのだろうか。
と思って検索したら、ウィキペディアの「膝」の項に次のような記述があった。
《日本語で膝という場合は、膝頭の上部の大腿部(もも)の前面を含めることがある。欧米の言語には、大腿部前面の座った時に水平になる部分を指す言葉(英語のlap(ラップ)など)があるが、日本語にはそれに一対一に対応する言葉はなく、通常は「膝」という。
膝枕は膝頭ではなく腿を枕のようにすることである。腿の上(lap top)に乗せて使うラップトップパソコンは、日本語では「膝上パソコン」と訳された。》
●ぼくは昔から、言葉を早飲み込みして、勝手な解釈で理解した気になっていた、ということが多い。小学生の頃、「空腹」という語を、なんとなく気持ちが黄昏れている感じ、空虚を抱えているとか、寂寞感(という言葉は知らなかったけど)とか、そんなニュアンスの感情を指す言葉だとばかり思っていて、小学四年くらいの時だと思うのだが、国語の授業で教師に「空腹の意味が分かるか」と問われて、「意味は分かるけど上手く言えない」みたいに答えたら、「上手く言えないなんてことがあるか、腹が減ってるってことだ」と言われて教室中から笑われたという記憶があるのだけど、その時に、笑われたということよりも、空腹という語がそんなに味もそっけもない、面白くも可笑しくもない、即物的な意味しかもっていないことに強い衝撃を受けた。
(これは、子供の頃のぼくの気分のデフォルトモードが寂寞感だったということも影響していると思う。外からみれば、ぼさっとした要領の悪い子供でしかないと思うけど、内的には割といつもアンニュイな感じだったと記憶している。落ち込んでいるとか、塞ぎ込んでいるというのとは違うし、辛いわけでもない。なんとなくうす暗くて、がらんとしていて、すこしさびしい感じ。その感じがとても「親しい」ものだった。そして「この感じ」を空腹と言うのだと思っていた。この感覚は大人になるとほとんどなくなってしまうのだけど、時々、重たく雲のかかった小雨の午後とかに思い出す。)