●『さらざんまい』、最終話。この話は、失われたつながりを取り戻そうとするという意味では『君の名は。』みたいだし(ミサンガ=組み紐)、「つながり」を過去に遡って消していくことによって「現在」を変えてしまおうとする(悠)という意味では『シュタインズゲート』みたいでもある。
●前回までの重たい展開とは違って、最終回はちゃんと気持ちよく終われる展開だった。ただ、最終話の物語が終わった時点(悠が三年の刑期を終えて出所した時点)では、ハッピーエンドと言っていい状態であると思うのだけど、それより先の三人の関係がかならずしも順風満帆ではない---というか、あまり明るくない---可能性が(そのような未来の姿が)、まるで回想シーンのようにしてあらかじめ繰り込まれているという形になっていて、ハッピーエンドが相対化されているという含みがあるところが味わい深い。
ひとまずつながりは保たれたが、しかし未来が明るいとまでは言えない。
(未来の困難は、「さらざんまい」のこれまでの各話のタイトルを反復するように同様の「問題」が未来において回帰することが予感されるという形でなされている。しかしその回帰が、「同じような問題の回帰」であると同時に未来への展開となっていることによって、この作品の途中に濃厚にあった、同じ時間が回帰する「ループ物」を予想させる匂いに対する裏切りになっているところも面白い。)
●最終話は六話と対応関係にある。六話では、カワウソ帝国のアジトへ地下深く潜行し、一稀が春河を救うために自分の存在を消そうとすることのだが、それを、燕太と悠とが食い止めようとする。最終話でも、水の底(カワウソによって操作された黒ケッピの内部)深くへと潜行しながら、今度は悠が、自分と世界との関係を断ち切ってつながりの外を出ようとするのだが、それを、燕太と一稀とが食い止めようとする。
六話でも最終話でも、自らの存在を消し、つながりの外へ出ようとするのは一稀自身、悠自身の意思であり、希望ですらあって、誰かから強いられたものではない。しかしそのような本人の意思を無視してでも、他の二人はその遂行の邪魔をする。その邪魔によって、一稀も悠も、この世界とのつながりを維持しつづけることが出来る。ここで、世界とのつながりは、自分の意思というよりも、自分をひっぱりあげる「他人の手」によって可能になる。自分の存在には、常に既に「他者の手」がかかわっている。
(今までの幾原作品に多くみられた「自己犠牲」の主題は第三者---主に燕太---によって拒絶されることになる。)
●『君の名は。』において、瀧と三葉とのつながりが切断され、二人の関係を示す記憶も物的証拠も次々と消えていってしまうなか、ただ組み紐と口噛み酒だけが二人をつなぐ媒介として残っていた。同様に、悠がつぎつぎと三人のつながりを消していくなかで、ただミサンガだけが悠と、燕太と一稀とのつながりを媒介するモノとしてある。
(ここには、兄と悠との関係を媒介するモノとしての銃と、三人の関係を媒介するモノとしてのミサンガとの闘争がある、とも言える。銃には、弾を撃つという機能があるが、ミサンガはただ「在る」だけで、何の機能も持たないのだが、最終的にはミサンガが勝つことになる。)
(ミサンガは、男性器・尿道VS肛門・直腸というイメージの対立には属さない、たんなる輪である。)
このミサンガは、この物語の前半では、 一稀→春河→燕太→一稀という小ループの媒介として、後半では、悠→一稀→春河→燕太→一稀→ 悠、そして(一稀、燕太、悠)→少年の頃の一稀という大ループの媒介として機能する。後者の大ループは時間の遡行を含むという点でも『君の名は。』と共通している。
(『君の名は。』には、組み紐や口噛み酒さえ失い、世界全体が二人の関係を完全に忘却してしまった後でもなお、二人の間につながりはあり得るのかという問いがあるが、ここでは、関係の媒介であるミサンガは存在し続けている。)
●ただ、この大ループが完全だと言いがたいのは、悠が遡行していった過去の世界で、少年時代の(一稀にミサンガを渡すはずの)悠が消されてしまっているからだ。だから、少年時代の一稀にミサンガを託すのは、少年時代の悠ではなく、現在から遡行していった三匹のカッパ(一稀、燕太、悠)の集合体としての「さらざんまい」だということになる。
ならば、ミサンガを受け取った一稀少年は後にサッカーを始めるかもしれないし、燕太と出会うことになるのかもしれないが、この世界には既に悠はいないのだから、それは悠とは何の関係もない出来事ということになってしまうのではないか。一稀は、悠のこと(ミサンガの出自)を思い出すこともないし、悠に出会うこともない、ということになるのではないか。
あるいは、悠が消えてしまった世界(悠が時間を遡行した世界)と、 一稀がミサンガを受け取った世界(一稀の記憶の世界)とは、別の異なる世界だとも考えられる。悠が遡行した世界では、悠は縁の外側に消えてしまったが、一稀の世界ではまだ縁がつながっていて、悠の出所後も三人の関係はつづいている、と。エンディング曲以降に示されているのは後者の方の世界である、と。
これは意図的になされた極端な解釈に過ぎない。とはいえ『さらざんまい』では、ループ物の匂いは希薄になっているとしても、多世界的であるという匂いは割と残っているのではないか。