●下の動画で語られていること、すごく面白い。というか衝撃的だった。この発想はなくて、虚を突かれた感覚。
ゆっきゅんと絵恋ちゃんのやってこれなんです 第17回「日本が12月のときトルコは何月?」(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=vrVkRBpZJok
(1:35くらいから)
「人生が変わったね、それ知ってから」
「転機だったんですね」
「日本が12月のときに、トルコも12月なんだって」
「……、ん」
「日本が12月のとき、他の国、何月だと思う」
「なに言ってんすか」
「バラバラだと思うじゃん、国ごとに」
「………」
「だって時差とかあるじゃん」
「時差はあるけど……、えええええ、じゃ、日本が12月のとき、トルコは7月とか、そういうのが、いろんな国にバラバラに…」
「バラバラにあって、しかもなに、12ヶ月とは決まってないと思ってたの、一年に…」
「そんな自由じゃないですよ……、意外と」
「けっこう、きっちりしてるんだ」
「そう、けっこうきっちりしてる」
「世界、すごいきっちりしてて、びっくりして…」
「え、でも、たしかにそれなんか、もし、自分が決めてよかったら、絶対決めますもんね、自分で」
「うん、そうだよ」
「不自由なんですよね」
「世界が?」
「世界が」
「元バイト先の先輩に会ったときに、今度、12月にトルコに旅行に行くんだ、ていう話をね、何ヶ月も前にしてて、で、へーっ、トルコはそのとき何月なんですかねえって言ったら…」
「(笑)」
「今の、ゆっきゅんの反応みたいになって…、えっ、て、えっ、」
「何言ってんの…、て」
「何言ってんの、てなって、トルコも12月だよって、えーっ、て」
「えーっ、て」
「え、え、てことは、てことは、他の国は?、…全部12月だよ。えーっ。え、え、12月だけ?、12月だけ?、…12月だけじゃない、まいつきー!、……っていうすごい衝撃があったんですよ」
(…)
「思ってたより世界ってつまんない」
(…)
「海外旅行行っても12月ってことだもんね」
「普通じゃん、それって、…新しい世界みたいのない」
「ないんだ、新しい世界なんてないんだっ…、ていう絶望だったんだ」
「悲しかった、悲しかった、すごい」
「もっとこう、意味がわかんない、バラバラの時間がひろがっていると信じたかったのに…」
●おそらく、絵恋ちゃんの元々もっていた感覚の方が、人にとって自然なものであるように思われる。しかし人はどこかの段階で、《世界、すごいきっちりしてて、びっくりして…》という衝撃と失望を味わい、そちらの方に自分を慣れさせる。しかし、世界の時空のありようは本当にそんなに《きっちり》しているのか。《きっちり》している世界の方が怪しくないだろうか。ここで語られる絵恋ちゃん的な視点で世界を見ること(構成し直すこと)は、とても重要な芸術の問題だと思った。