2020-08-15

●『MIU404』、第八話。このドラマではじめて知ったのだけど、捜査一課の嫌味な刑事の役をやっている酒向芳という俳優が、吸血鬼みたいでとてもかっこいい。それに、小日向文世に殺される役の人も、とてもリアルでいい顔をしていた。前にも書いたと思うが、このドラマの、主役級の有名俳優たちと、ゲストとして出演する有名人(平野文とかKing Gnuの人とか)、そして、無名というと言い方が悪いが、芸能人というより「俳優」という感じの人たちとの、配合のバランスがとても面白いと思う。

この回は、単発としてもとても完成度が高いと思うが、今まで積み重ねてきた流れがあって、この回があると考えると、いっそう味わい深いものとなっている(連続殺人の疑いがある事件でUDIラボが出てくるという点で、『アンナチュラル』からの伏線もある)。このドラマで今までは、根拠がブレたり、揺らいだりするのは星野源で、綾野剛は常に揺らがない存在だった。二人の関係の変化(深化)は、主に星野源綾野剛への評価の変化と、綾野剛星野源について深く理解していく過程で生じるのだった(綾野剛自身がもつ評価軸はブレない)。このドラマの基本姿勢である、「逮捕は犯人を救うため」という思想は主に綾野剛に由来する(星野源もまた「スイッチの切り替え」という表現で同様の意味のことを言うが、綾野剛はよりシンプルにこの思想を体現している)。そしてこの思想を綾野剛にもたらしたのが小日向文世だった。だがこの回では、今までこのドラマの芯を貫いていたこの思想が、思想の由来である小日向文世によって揺らいでしまう。小日向文世にとって、「救う-許す」ことのできない存在があらわれてしまい、彼は警察官としての自分の信念を裏切らざるをえなくなる。確か第二話で、星野源が犯人に対して「どんなクソみたいな奴でも、殺してしまったらおまえの負けだ」という意味のことを言っていたが、綾野剛が絶対的に信頼し、その存在の根幹としていた小日向文世が「負け」てしまった(星野源小日向文世に言う、「全警察と綾野剛のためにもあなたは殺すべきじゃなかった」というセリフは、二話の犯人への言葉の反復的な再帰だろう)。綾野剛にとってこの出来事は、自分の根拠がまるごと否定されてしまったということだろう。

(綾野剛の恩人である小日向文世は間違いなく立派な人物であろう。そのような立派な人物でもなお、状況によっては人を殺すことを止められなくなる。それはつまり、星野源綾野剛---そして「このわたし」---が、今まで人を殺さないで済んでいるのは、たまたま、幸運な偶然に過ぎないのではないか、という問題の提起でもあろう。「スイッチの切り替え」が---今までは---たまたま幸運な方へ転んでいたに過ぎない。場合によっては星野源綾野剛も、小日向文世であり得たし、未来にかんしては、なおもあり得る。あるいは、犯人Aでもあり得るし、犯人Bでもありうる。だからこそ綾野剛は、自分が小日向文世の行動を抑制するためのスイッチになり得なかったことを後悔する。)

これまで、後悔と自己反省の人である星野源の「根拠の揺らぎ」を支えていたのは綾野剛のシンプルな信念だったが(例えば六話で、空気も読まずに本人に直接「相棒殺し」という語の意味について問いかけるという「真っ直ぐ過ぎる」行動がきっかけで、結果として星野源の長年の気がかりが晴れることになる、など)、ここで、綾野剛の根拠の喪失に対して、今後、星野源によるなにかしらの働きかけがあるのだろうか。

2020-08-13

●オカルトは好きなので気分転換に動画をよく見るのだが、額縁込みでも一万円以下で買えてしまうルオーの複製画(量産品)を、「呪いの絵」にしてしまうのは、ネタの仕込みとしてあまりに雑なのではないか、と思ってしまった(下の動画)。

【呪い?】いわくつきのピエロの絵を三木住職が供養

https://www.youtube.com/watch?v=q5ikqBkXbNo

プリキャンバス複製画・デッサン額仕上げ(6号相当サイズ) ルオー・「ピエロ」

https://item.rakuten.co.jp/goupil/20160729003/

謎めいた呪いの絵に仕立て上げるには、ルオーはあまりにもメジャー過ぎる。ただ、ルオーの作品に、そこに呪いを感じてしまうくらいの力がある、ということはあるかもしれない。確かにこのルオーの絵は、もし仮にルオーを知らないで観たという状況を想定するならば、なにかしらいわくありげなものに見えるかもしれない不思議な表情をしている。

(誰が見てもルオーでしょ、しかも明らかに複製、と即座に思ってしまう人が、それによって見えなくなっているものもある。)

●有名な作品の---世界中に拡散されているであろう---複製画には「呪い」が宿る余地がない(「呪い」は、曰くの起源にのみ宿る)、と言い切る根拠はどこにあるのか。『リング』のVHSテープがそうであるように、「呪い」とは、「複製が可能である」というその事実ものの別名とも言えるのではないか。

あるいは、量産品で同型のものが無数にある熊のヌイグルミがあったとして、たくさんあるなかの「このヌイグルミ」に呪いが宿ることは、感覚的に納得できる。ならば、複製品であるが「このポストカード(複製画)」に呪いが宿ることも納得し得るのではないか。

ただ、ヌイグルミの場合は、「このわたし(ある固有の誰か)」と「このヌイグルミ」との間に、交換不可能な固有の---愛憎にまつわる---関係が生じ、その関係の固有性によって呪いが宿るということを想像しやすい。対して「このわたし」と「このポストカード」との間に、固有の愛憎関係がすり込まれるという事態は、まったく想像できないということはないが、その想像にヌイグルミと同等の説得力をもたせるのは困難であるように思われる。人とヌイグルミとの関係と、人とポストカード(絵)との関係とは、かなり違っている。

(だがこの場合、「呪い」が人間の愛憎という感情を介してすり込まれるという前提の話になっている。そうではなくて、非人間に起源をもつ「呪い」ということを考えると、その限りではない。)

ただ、複製可能だという点で同じだったとしても、これが絵ではなく写真だったらまた違ってくる。(パース的に言えば)絵はイコンだが、写真には(複製によって限りなく希少になるとしても)インデックス性があるので「呪い」と相性がいい。

では人形はどうなのか。人形は、ヌイグルミほどには人と密接な愛憎関係は結びにくい---置物としての人形の場合---し、写真のようなインデックス性はなく、絵と同様にイコンだ。にもかかわらず人形が呪いと高い親和性をもつのは、人形が「人の形をした三次元のもの」だからではないか。人形には、起源-呪いの有無にかかわらず、それ自体がモノとして既にただ怖い、というところがあるかもしれない。

●呪いは、ある曰くの起源(オリジナル)に宿るという感じと、呪いとはつまり、伝播し反復するもののことだという感じとは、排他的ではなく両立する。というか、この両者がセットになることで「呪い」という概念は成立するのではないか。そして両者を結びつけるのが、呪いの依り代(媒体)だろう。呪いには、起源と、持続的に存在したり複製されたりする媒体と、再帰的に生起する出来事とが必要となる。

たとえば、ルオーの量産された複製画が呪いの媒体であることに説得力をもたせるとしたら、「量産された複製画」が呪いの媒体となることに必然性があるような形での「起源の物語」あるいは「再起された出来事」の創造が必要となる、ということか。

 

2020-08-12

●火曜The NIGHTに出ていた、プー・ルイが新しくつくったグループ(PIGGS)が面白そうな感じだった(曲はあまり好みではないが)。メンバー五人、それぞれのキャラがたっていて、そのバランスも面白い。いや、キャラという以前に、五人がバーッと出てきて並んだ時の、その佇まいからして、もう面白そうな感じがした。火曜The NIGHTは毎週観ているけど、ただ並んでいるだけで佇まいに面白い感じが出るアイドルは、そんなにいないと思う。CY8ERと、ZOCくらいか。

2020-08-11

●テレビをつけたら、NHKでメモリースポーツを扱った番組をやっていて、ゲストで出てきたメモリースポーツ界の凄い人が、平成以降のNHKの朝ドラのタイトルを短時間ですべて憶えるという企画があって、その合間でアナウンサーが過去の朝ドラを振り返って軽く紹介する短い下りがあり、「竹内結子さんが和菓子職人を演じた『あすか』や、石原さとみさんがパン屋を演じた『てるてる家族』、そして東北を舞台にした『あまちゃん』もありました」と言っていた。ああ、まだ「能年玲奈」と言ってはいけないのか、と思った。

●玄関のドアの前にアマゾンの段ボール箱が置いてあるのを、夜になってから気づいた。箱に触れると、昼間の日射しと暑い熱をたっぷり吸った、その残り香みたいにほわっと暖かく、そして、紙の質が暑さに疲労してくたっとしていた。くたっていたので、開けようとしたら、ミシン目に沿って上手く開けられなくて裂け目がズレてしまう。そのくらい昼間は暑い。

2020-08-10

●小暮夕紀子という作家をいままでまったく知らなかったけど、「文學界」九月号に載っていた「裸婦」という小説がよかった。幼い娘の、「性的な母」に対する微妙な忌避の感覚と、成長した娘の、死に近い(遠ざかっていくものとしての)母へのまなざし。

《父が死んだのだ。石段の下で冷たくなっていたのを、近所の人が見つけてくれたのだった。桐子はそのことを母に話しに来たのだが、実はすでに四十九日の法要までをも済ませていた。父と母は離婚していて、すでに二十年以上経っている。にもかかわらず、葬儀に出たいと言い張ったら面倒だし、あるいは、よもやとは思うがショックを受けたら、などとも一応は考えた。そんなわけで、なんとなく日柄のよさそうな頃合いを見計らっていたというのもある。》

《母が振り返った。

「写真、撮ってくれないかしら、そこから」

「後ろから?」

「そう、それを遺影にしたいのよ」

「つまり顔は写さないってことね」》

2020-08-09

●これは、磯﨑さんの小説に出てきた「相互銀行」の前身なのだろう。

《神保町のビル「旧相互無尽会社」(昭和5年頃竣工) が9月7日からの工期で解体されてしまうという。これは本当になんとかならないのかなと思う。外壁を覆うスクラッチタイルやアーチ窓など見どころの多い素敵ビルなのですが…》

https://twitter.com/aof1080/status/1292009485683142656