2024/04/23

⚫︎良い作品はそれ自体で良い作品であり、あまり良くない作品はそれ自体であまり良くない作品だ。例えば、作品に一つ一つ点数をつけていって、ベスト10にまで入るのが良い作品で、それ以降はいまひとつのものだ、ということではない。歴史に残るような傑作にだけ意味があるのではない。

とはいえ、人が読むことのできる量には限りがあり、記憶できる量にも限りがあり、持続的に関心を持ち続けられる量にも限りがあるから、結果として、ベスト10以下は切り捨て、のようなことが、そうとは意図せずに起こってしまう。

今日読んで、しみじみと良いと感じた作品や、その良さの感覚は、しばらくすると、それを読んだという事実からして忘れられてしまうかもしれない。とても幸福な夢の感触が、目を覚ましたら程なく消えてしまうように。

しかしそれでも、たとえ忘れられてしまうとしても、良いものは良いものだし、その良さに触れることには大きな意味がある。幸福な夢を見ることは、たとえ目覚めてすぐに忘れてしまうとしても、幸福なことだ。そういうことについて書かれた小説を読んだ。

今日のこのことを忘れるのか、忘れないのかは、今の時点では分からない。

2024/04/22

⚫︎「熟議」という考え方に根本的な不信感がある。ケンカにおいて、生まれつき体が強い奴が勝つのと同様に、「議論」においては、生まれつき頭の良い奴が勝つ。どちらにしても、形の異なる暴力ではないか。だから、集団の意思決定が民主的であるべきだとすれば「熟議」は適当ではないとぼくは思う。その時に必要なのは集合知だろう。

例えば、資本主義が共産主義よりも優れているとすれば、それは、いろんな人たちが、それぞれ勝手に、いろいろ試してみて、その多くは失敗するが、その中でたまたまうまく行ったものが成長し、拡大していくか、あるいは、拡大しないで、小さな領域であっても、定着し、持続可能となる、という形になっているからだろう(成功が千に三つだとしても、成功したものが良いものであれば、それは引き継がれ、世界は変わる)。共産主義においては、一部のエリートが最適だとする解を最初に定める。それは最悪ではないかもしれないが、最良でもないものになるしかない(そして、権力が集中するエリートは、必ず腐敗する)。

集合知は、議論でもないし単純な多数決でもない。それを引き出すには、引き出すための上手い手法やプロセスが必要になる。資本主義は、そのための、ある程度は上手いシステムだから、世界に広がった。ただし、現在ではその矛盾や限界も明らかに見えている。

重要なのは、思想よりも、どのようにしたら集合知を上手く引き出せるプロセスを考えられるのか、ということだと思う(「思想」に意味がないと言っているのではない)。VECTIONが考えているのは、そのようなことだ。

vection.world

2024/04/21

⚫︎なぜかいきなりU-NEXTでどーんと14本、トリュフォーの映画の配信が始まった。あと、チャップリンも14本加わった。だが、今は観ている余裕がない。

(目先の必要があって読む以外の本を読む余裕もないし、映画を観るまとまった時間を作るのもむずかいし。どうやってマティスを観に行く時間を作ればいいのか…。)

今回の配信ラインナップにはないが、『トリュフォーの思春期』は、ぼくにとってトラウマ映画の一つだ。小学校低学年と高学年の間くらいの時だったと思うが、地元の映画化に『がんばれベアーズ』を観に行った時の同時上映が、今思えば『トリュフォーの思春期』だった。その時に、何か強烈な、見ては行けないものを見せられたという印象が刻まれたのだが、「それ」がなんという映画なのかずっと分からないままだった(その時は『がんばれベアーズ』にしか興味がなくて、事前には同時上映など意識になく、ショックを受けたあとも確認することもなかった)。ただ、その強いショックの感触というか質感はずっと残っていた。

しばらくして(まだ小学生だったか、中学生になっていたのか…)、昼間だったはずだから日曜か休日だったのだろうと思うが、たまたまテレビをつけたら、既視感のある「質感」が不意にガツンと現れて、「え、これは、あの、あれ、なのでは ? 」と思い、しばらく観続けて、「そうだ、間違いなく、あの、あれ、だ」と確信した。その時にはもう「あの、あれ」が現実だったのか、偽の記憶なのか分からなくなっていた、というか、むしろ、現実ではなかったのではないかという感じの方が強くなっていたから、あれは現実だったのだ、ということが軽いショックでもあったし、(妙な言い方だが)嬉しい感じでもあった。

(調べたら、『トリュフォーの思春期』の日本公開は1976年だから、9歳だったはずだ。微妙な年齢だ。)

というか、ほぼ同じ内容の日記を四年前にも書いていた(書いていて既視感があったので検索したら出てきた)。

furuyatoshihiro.hatenablog.com

2024/04/18

⚫︎目黒区美術館が、再開発のために解体されるという話が出ているらしい。もう何十年も行ってないけど、色々と思い出すことがある。ぼくが初めて、自分の作品を大学以外の場で展示するという経験をしたのが、目黒区美術館に併設されている区民ギャラリーでだった。大学内で、学生が主体で、責任者が下の年代へと受け継がれる形で毎年行われていた「Young Power of Art」展という、信じがたくダサいタイトルの展覧会があって、募集のチラシを見てそこに参加した。三浪の間我慢して受験絵画ばかり描いていて創作意欲が爆発していた入学当時のぼくは、とにかく作品を作りたかったし、作ったものをアウトプットしたかったのだった(起きているほとんどの時間を大学のアトリエで過ごした)。その展示が行われたのが目黒区美術館の区民ギャラリーだった。一年の時だったか、二年の時だったか、あるいは、一年と二年と両方参加したのだったかもしれない。

そのときに、どうやったら区民ギャラリーを借りられるかというノウハウを知り、確か三年の時だったと思うが、同級生五人か六人で「共振する離点」というグループ展を企画して行った。自分たちで仕切った最初の展示だった。なぜ、メンバーに目黒区民が一人もいないのに区民ギャラリーが使えたのか覚えていない。区民じゃなくても都民だったらOKだったのかもしれない。

区民ギャラリーの空間はとても広くて(天井はあまり高くないが)、全面を借りられると本当に思う通りに展示ができた。大学のアトリエが巨大で、かつ、当時は抽象表現主義にハマっていたので、やたらとデカい作品をたくさん作っていたのだが、自分の作った巨大絵画を7、8枚くらいダーッと並べられたのはとても嬉しかった。あんなに贅沢に空間を使って展示できたのは、今に至るまで「共振する離点」のときだけだ。

大学四年間で、三回か、少なくとも二回は区民ギャラリーで展示をした。ホームグラウンドみたいな感覚があった。だから学生の時は、目黒区美術館には結構頻繁に行っていた(展示の時だけでなく、応募のためや下見のためなどで)。目黒駅から、権之助坂を通って、目黒川まで。川に突き当たると、川沿いの小道へ入って、しばらく行けば、公園の中に美術館がある。区民ギャラリーは美術館と違う入り口で、地下にあり、階段を下っていくと、見下ろす形で徐々に展示スペースが見えてくる。この道のりを歩いている感触はそんなに古い記憶じゃないように感じるが、でも80年代末から90年代初めころのことだ。

大学三年のときに特待生に選ばれて学費が半額免除になった。親と交渉して、返納された学費の一部で銀座のギャラリーを借りて、四年の時に初めての個展をやった。1992年。目黒での展示はそれよりも前の話だ。

2024/04/17

⚫︎神奈川近代文学館橋本治に関する展示をやっているみたい(見に行っていない)だし、橋本治についての新しい批評の本が出たみたい(読んでいない)なので、昔書いた『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』論(『世界へと滲み出す脳』所収)をnoteにアップしてみました。

(この小説はとても面白いのだが、とはいえ、読もうとしても入手するのが難しいだろうなあと思っていたが、なんと、二年前に復刊していた ! ということを、今、知った。)

note.com