大阪へ行って来た(1)

●大阪へ行って来た。
国立国際美術館が移転したという話は、どこかで小耳に挟んでいるはずなのにも関わらず、大して調べもせず、新幹線で新大阪に着くと疑うことなく万博記念公園へ向かったのは。多分ぼくの無意識が万博記念公園に行くことを欲していたからなのだと思う。ぼくの、思い出せる限り最も古い記憶の一つが、家族で大阪万博に行った記憶なのだ。弟はまだ生まれてなくて、妹が赤ん坊で母に背負われていたはずなので、おそらくぼくは3歳くらいだっただろう。(こんな言い方をしなくても、大阪万博は70年なのだから「外から見れば」ぼくは3歳に決まっているのだが。)とは言っても、会場内の記憶は、大勢の人でごった返すなか、疲れて池の端のような場所に座っているおぼろげな映像だけで、主に憶えているのは泊まったホテルの部屋のことで、おそらくものごころついてから始めての外泊だったはずで、ホテルの部屋の閉ざされた感じが凄く怖かったというのを憶えているだけなのだが。ともかく、ぼくは間違って万博記念公園に行って時間をロスしてしまったのだが、結果としては間違ってよかったと思う。
まず、万博記念公園駅へ向かう、大阪モノレールの遅さが素晴らしい。モノレールは、何かトラブルがあって徐行運転しているのではないかと思うような緩慢なスピードで動くのだった。緩慢な速度で、団地の建ち並ぶ千里ニュータウンから徐々に木々の生い茂るだだっ広い空間へと移動してゆくのだが、その風景の変化がとても良かった。この速度感が、こちらの物を見るモードを変化させる感じなのだ。そして、万博記念公園に近づくと、窓の外に、生い茂る木々から太陽の塔が頭を出しているのが見えてくるのだが、この太陽の塔が、予想をはるかに上回る大きさで、それが見えた瞬間、ほとんどゴジラが出現でもしかたのような衝撃を受けたのだった。太陽の塔は、写真などで見ると何だかチャチなものにみえてしまうのだが、実物はその大きさによって圧倒的で、うわっ、デカッ、スゲエ、という言葉が口から洩れてしまう。そして、これは太陽の塔のデカさとも関連するのだろうけど、万博記念公園周辺の風景の、無駄なスケール感の大きさがすごい。おそらく、70年の大阪万博の時には、ここに大勢の人がごった返していたのだろうが、今は(平日の午前ということもあってか)子供を連れた若い母親と、学校をさぼったと思われる中学生がチラホラといるだけで、この、スケール感の無駄な大きさと人の少なさが、何とも荒涼とした感じを生み出している。(快晴というわけではないが、今日の大阪はとても暑くて、その太陽の光が、がらんと大きく広がる地面に眩しく反射し、一層白々とさせていた。)このスケール感はまるでジャ・ジャンクーの映画に出てくる中国みたいな風景で、そしてまた、過ぎ去ってしまった日本の高度経済成長の幽霊のようなものとも感じられる。日本に高度経済成長の時代というのがあり、そのピークとしての70年代というのがあったのだというリアルな感触が、この場所には確かに今でも保存されているように思う。駅から万博記念公園に行くには、高速道路にかかった橋を渡ってゆくのだけど、この橋の無駄な広さと、それに対する極端な人の少なさ、そして、その先に見えている太陽の塔のとてつもない大きさ、下を通る高速道路から立ち上ってくる埃っぽい空気と音などから、かつて過去にそこに人がごった返していたであろう光景が想起され、その不在の人ごみが、現在見えているものをより荒んだ表情にするのだった。とにかく、この風景を見ることが出来ただけで、(もしゴッホを観られなかったとしても)今回大阪までやってきた意味は充分あったと思えたのだった。国立国際美術館中之島に移っていたことを事前に知っていたら、この風景を見ることが出来なかったわけで、ぼくのおっちょこちょいも、そう悪くはないと思うのだった。(今日はここまで。)