●短い睡眠時間だった割にはすっきりと目覚めたのだが、目覚める直前まで見ていた夢は、目覚めたとたんに忘れてしまっていた。つい直前まで見ていた夢の濃さやなまなましさの感触はしっかり残っているものの、具体的にどんな夢だったのか(楽しいのもだったのか、辛いものだったのか、怖いものだったのか)まるで思い出せない。フロイトが、試験に失敗する夢を見るのは、ある程度は試験で成功した人だけで、試験の失敗によって決定的に人生がかわってしまった人は、試験に失敗する夢を決して見ない(憶えていない)と書いている、と、樫村晴香さんが言っていた(樫村さんは、ある時期からほとんど夢を見なくなった、とも)。無意識による抑圧・検閲は、そのように強力かつ狡猾に作動する。自分(無意識)は、自分(というシステム全体)を防衛するために、自分(意識)に対して常に嘘をつき、隠し事をし、回り道を指示する。
●まだ、ちゃんと旅行前の状態に着地できていないふわふわした不安定感を感じつつ、喫茶店に行って、本を読み、メモをとる。今後しばらくは忙しくて、喫茶店で原稿、とか、散歩した、とか、そのくらいしか書くことがないだろう。
●今回の大分行きについては、あまり詳細に書く気がしないので、簡単に行程だけ書く。
15日朝早く出発し、午前11時過ぎに新大阪着。そこから、午後10時半過ぎに泊まるところを確保するまで、大阪をずっと歩きつづけた。ぼくの移動は基本的に「歩き」で、事前に決めておいた見たい場所がいくつかあり、そこまでは電車で移動するが、あとはその周辺を、普段近所を散歩する時のように、地図も見ずにただあてずっぼうに延々と歩きつづける。ただ、不慣れな土地なので緊張感と物珍しさがあり、普段より、つい気合いが入り過ぎて、無理に歩きすぎてしまう。ちょっとでも面白そうな道があったり、遠くに何か気になるものが見えてしまうと、引き返そうと思っていても、それにひかれてそっちへ行ってしまう。この日は、ぼくが生涯経験したなかでも特別に暑くて陽射しが強い日で(とにかく、空と雲がつくりものみたいに鮮やかだった)、ぼくは一度外に出ると基本的に途中では何も食べないのだが、しばらく歩いていると足がふらつく感じになり、さらに、心臓の鼓動のリズムが変な感じになってきて、さすがにやばいと思ってコンビにで普段絶対買うことのないウイダーインゼリーを買った。この日の、気合いの入れ過ぎが後々たたることとなる。あと、衝撃的だったのは、大阪では子供が関西弁を喋ること。当たり前のことなのだが、実際に聞くと、何か「ウケを狙うためにわざとやっている」ようにしか聴こえなくて、現実っぽくない。寺田町に宿泊。
16日。開館と同時に、万博記念公園にある国立民俗学博物館に行って、2、3時間くらい観てから大分に出発しようと思っていたのだが、これが面白過ぎて、凄過ぎて、なかなか出られなくなる。大分の展覧会の主催者の三宮さんから、「そろそろ到着しますか?」というメールをもらった時には、まだ「みんぱく」にいて、これはさすがにまずいと思って、それをきっかけに博物館を出る。小倉までは順調に行ったが、小倉-大分間が大雨のために電車が大幅に遅れていて、いつ電車が来るか分からない感じでホームは騒然としていて、これは今日じゅうに着かないかも、みたいな雰囲気だったが、実際には二時間半遅れの電車がそれから間もなく着いて、無茶苦茶に混んでいたけど、午後九時頃に大分着。着いてすぐ、初対面で、名前も、どんな作品をつくっているのかも知らない大勢の人たちと、いきなり深夜まで飲むことになる。予想外の展開。大分の方々の手厚い歓待に感謝する。夜の大分のディープな世界を垣間みる。メジロン、その他。
17日。アーティスト・トークトーク終了後、偽日記読んでます、本も読みました、という方から声をかけられて、うれしかった。展覧会終了。作品を撤収、梱包。その後打ち上げ。夜の大分のディープな世界、再び。今度はほとんど朝まで飲んでいた。展覧会に参加した作家の北村さんが、打ち上げの席で、目の前でぼくの書いた岡田利規論を読んでくれて(遅れている人を待っている待ち時間みたいな時間で)、直接感想を言ってくれたのが、編集者以外から聞いたこの文章に対するはじめての反応で、うれしかった。
18日。朝方まで飲んでいたのでゆっくりめに起きて、昼頃に再び大阪へ向かう。自由席はラッシュ並みの混雑で、その状態のまま大分-大阪間の四時間以上を過ごす。一日目の無理と重なって、腰が痛くなり、腰の痛みが首のあたりにまでひろがってくる。午後4時前くらいに新大阪着。この時、疲労のピーク。多少高くても(といっても五千円ちょっとだけど)なるべく近いところでとりあえず休みたかったので、東口を出てすぐくらいのビジネスホテル(でも、この辺りはあまり深夜とかは歩きたくない感じだった)にチェックインして、シャワーを浴びて一時間くらい横になる。その後ホテルを出て、大阪環状線を二周しながら暮れてゆく大阪の街を見て、大阪駅で降りて、すっかり暗くなったその周辺をしばらく歩いたのだが、腰痛が酷くて、一時間くらいでホテルへ引き返す。
19日。開館から閉館まで、まる一日、太陽の塔の下にある、国立民族学博物館で(まだ尾を引いている腰痛に耐えつつ)過ごす。ここは凄過ぎる。ここを再び観るために、帰りにも大阪に寄ったのだった。ぼくが特に惹かれたのは、他に比べて圧倒的に抽象度と洗練度の高いアフリカの彫刻や仮面と、世界を、物を単位として捉えるのでも主体を単位として捉えるのでもなく、波動というか、揺れを単位として捉えているとしか思えない、インドのヒンドゥー教の彫刻だった。基本、撮影自由なので写真も撮ったけど、それでは何もわからないので、今度行く時にはスケッチブックを持って行って、アフリカの仮面とヒンドゥーの彫刻の構造や組成を、手で描くことで探ってみたいと思った。でも、その時は、それ以外のものは観ないと強く心に決めておかないと、凄いというしかないものから、物珍しくて変で面白いというものまで、面白いものがあまりに密度濃く山ほどあり過ぎて、目移りしてしまって落ち着いてスケッチ出来なくなる。いや、目移りしないでいるのは、ここではほとんど不可能だとは思うのだが。
●暮れ初めから暗くなる頃に散歩していると、夏がこんなに暑いっていうことは、なんて幸せなことかと思う。