●お知らせ。「ユリイカ」11月号(特集パブロ・ピカソ)に、「ギターと仮面とコンストラクション/1907から1912年のピカソ」という原稿を書いてます。ちょっとわかりづらいのは、この「ユリイカ」に図版として載っているピカソの「詩人」という作品と、ぼくがテキストのなかで触れている「詩人」という作品とは、別の作品なのに、文中で「図版参照」となってしまっているところです。まあ、どちらも1912年に描かれた、分析的キュビズムの時代の、似たような作品ではあるのですが。
●昨日の午前中に、磯崎憲一郎さんから電話があって、これから横尾忠則さんと食事するのだが、横尾さんに古谷さんの本を渡しても良いか、と聞かれた。勿論、一人でも多くの人に読まれた方がいいに決まっている、と答えたものの、内心、横尾さんが読んだら怒るんじゃないかという不安はあった。本を出す以上、本人の目に触れることは充分覚悟しているし、だいいち、いい加減に書いてはいないつもりだし、基本的には悪く書いてはいないはず(つまらない作品についてわざわざ書いたりはしない)なのだが、ちょっと誤解されかねない複雑な(失礼な?)書き方をしているので、そのあたりをちゃんと読んでくれるかどうかは、心配ではあった。正確には磯崎さんは、「駅前の本屋に古谷さんの本があったら、それを買って横尾さんに渡す」と言っていたので、まあ、普通、駅前の本屋にはぼくの本はないだろうと思ってはいた。
夜になって磯崎さんからメールがあり、横尾さんは、渡した本を早速読んでくれて、それをブログに書いている、と書かれていた。横尾さんのブログをみたら、誤解せずにちゃんと読んでくれていて、好意的な評価だったので、とても嬉しかった。磯崎さんと横尾さんに感謝します。批評のようなものを書く時、その対象になる作品をつくった人が読むことを意識して書くわけではないけど、でも、出来れば、それをつくった人に読んでほしいと思っているし、その作品をつくった人が読んでどう思ったのかを聞いてみたいということは、いつも強く思っているので、本当に嬉しい。
横尾さんは、最近、小説を書いて、泉鏡花賞という賞を受賞したのだが、インタビューを受けた時、インタビュアーが「きょうかしょう(鏡花賞)」と言うのを、「きょうかしょ(教科書)」と聞き違えて、話がまったく噛み合なかった、という話をちょっと前に聞いていたので、横尾さんの読解に不安を感じていたのだが、そんなぼくがあさはかでした。
●25日の保坂・樫村トークについて、あと、ほんのちょっとだけ。因果関係の解体や能動-受動の区別の不能について、ヒュームやスピノザは、そのような世界を思考実験として描き出したけど、実際にそのような世界が実現するとは思っていなかった。ニーチェは、もしかするとその到来の予感をもっていたかもしれないが、でも、ニーチェの時代ではそれは現実ではなかった(ニーチェ自身にとっては「現実」だったとしても)。しかし現在、それはとてもありふれた現実となった。ラカンが、自身の理論をほぼ完成させたのが五十年代の終わり頃で、それから五十年、哲学的には新しいことはまったくなされず、哲学者にとってこの五十年間は「暇な時代」だった。しかしそろそろ、そのような「現実」に押し出されるように、哲学は新たな様相を要請されているのではないか。トークの前の一時間弱くらいの短い打ち合わせの時、樫村さんはこのようなことを言っていた。
この話は、この夏に、保坂さんと樫村さんと三人でお会いした時、樫村さんが、最新の理論物理学の成果の話と絡めて話していたことととても密接に関わると思うのだが、その話をここに再現する能力はぼくにはない。だいいちこの時は、六時間以上ぶっつづけで話していたので、最後の方は頭が疲労し切っていて、話を充分に受け取り切れてはいなかった。何とももったいない話ではあるが、脳も身体の一部であり、フィジカルな限界というのは、とっても具体的な形であらわれてしまうのだった(だからこそ樫村さんには、是非「書いて」欲しいのだが)。
●25日のトークで、ここ二ヶ月くらいつづいていた、何かと忙しい時期は一段落したのだが、昨日、今日と、おそらく目の疲労からくる極度の肩凝りと、その凝りが首筋から頭にまで及ぼす影響とで、頭がほんやりと霞がかかったようで、常に軽く眠いのに、(肩が凝りすぎて)浅くしか眠れない(眠ると追いつめられた夢をみてすぐ目覚める)という状況で、まったく何も手に着かない。