2023/09/26

⚫︎ホックニー展はまだ観に行けていないのだが、保坂和志さん、樫村晴香さんとお会いする機会があり、展覧会を観たという保坂さんにホックニーのとても良い画集を教えてもらった。展覧会の図録ではなく、「Hockney`s Pictures」というタイトルのペーパーバックで、東京都現代美術館のナディフで買うと七千円くらいするが、Amazonなら五千円くらいで買えると教えられ、早速注文したのだが、届くのは十月の後半になってしまうようだ。パラパラと見せてもらったのだが、ぼくの持っている何冊かの画集には載っていない、初めて観るような作品がたくさんあって、しかもその多くがとても良い作品だった。改めてホックニーすげえと思った。

実物を観ていないで言うのもなんなのだが、ポスターなどを見るとホックニーの最近の作品については正直ちょっと危うい匂いが感じられて(特に色感が)、近作中心の展覧会であるようで、危ういホックニーをたくさん観るのは辛いかなあという気持ちもあったのだが、「Hockney`s Pictures」を観て、ホックニーこそがまさに「現代の画家」であり、絵画と共にあり、絵画を通じて思考を重ねている、画家の中の画家であるという思いを新たにして、それが例え危ういものであったとしての(実物を見れば危うくないのかもしれないし)、観られるのであればそれをちゃんと観て受け止めなければならないのだな、と思い直したのだった。

(ぼくは、色感が危うい絵を観るのは身体的なレベルで辛くて、気持ち悪くなるし立ちくらみがする。「危うい」というのはどういうことなのかうまく言えないのだが。)

以下は、展覧会もまだ観ていないし、画集も届いていてない(観ていない)状態で書く、とても雑で乱暴な話。ただ、ぼくは最近、あえて解像度を粗くして大掴みなことを言うことの重要性(と言うか、必要性)を感じている。一方でがっつり濃い密度でハードに考える必要があるが、もう一方で物事を大雑把に掴み、(突っ込まれても良いという感じで)気軽に口にすることが大事だとも思う。

ホックニーはペインティング的というよりドローイング的で、絵画を構築するというよりスケッチが巧みな画家と言えて、初期作品などは、スケッチの巧みさとポップアート的な感覚をうまく取り合わせた感じだが、もう一つの重要な特徴として、キュビズムへの深い理解と関心、そしてその独自の展開があって、この二つの要素は矛盾するとまでは言えなくても、あまり食い合わせが良くないようにみえる。この二つの側面が、どちらがどのように、どの程度出ていて、それがどう組み合わされているか、いないか、によって、表面的な「作風」はかなり変わってくる。それは逆に言えば、見かけ上の「作風」が多彩だとしても、それを生んでいる関心のありようは一貫していると言うことだと思う。

ホックニーにおけるキュビズムへの関心は、絵画の形式の問題であるよりも、空間のリアリズムの問題であるように、ぼくには感じられる。我々が空間を把握し経験するとき、その経験のありようは透視図法的な遠近法によって表されるものよりも、キュビズム的な空間の方が近い。ピカソやブラックを観るとあまりそうは感じないかもしれないが、ホックニーを観るとそれがよくわかる。だから、一つめの側面は、人や物のスケッチであり、二つめの側面は空間(空間の経験)のスケッチであると考えると、二つの特徴は実は矛盾などしていないし、密接に繋がっている。どちらにしてもホックニーの関心はリアリズムにあり、二つの側面が最もうまく統合されているのがフォトコラージュだと思う。

⚫︎この記事で見られる展示写真を見ると、危ういどころかすごく面白そう。

bijutsutecho.com

だが、こういうのを観ると「危うい」と感じてしまう。

lp.p.pia.jp

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⚫︎樫村さんの話は常に刺激的だが、それについては樫村さん本人がそのうち「群像」などに書くと思うので、ここには書かない。