●お知らせ。27日発売の「ユリイカ」6月号(特集・山下敦弘)に、「描写と世界/『松ケ根乱射事件』とその他の作品」というテキストが載っています。
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%BB%B3%B2%BC%C6%D8%B9%B0
●昨日は、練馬区立美術館からアップフィールドギャラリーにまわって山方伸の作品を観た。以前の作品は、モノクロで横長のフォーマットで、物のさまざまな表情が空間的に配置されているような写真だったのが、今回のは、カラーで縦長で、空間的配置というよりは、物や世界との距離感が測られるような感じになっていた。画面の意識的な構築というよりは、意識以前に入ってくる(意識に届いた時には既に遅れてしまっている)「ある出会い(出会いがしら)」の感触が掴まれている、というのか。そして、一つのフレーム内に没入し、凝視を誘うようだった作品が、むしろ、ある一枚から別の一枚へ、そこからさらにまた別の一枚へと視線が移動してゆくその動きのなかで、一枚一枚が明確に見えてくるようになる(ある瞬間にある一枚がパッと見えてくる)、みたいな感じになっていた(展示の仕方も含めて)。いや、「展示の仕方も含めて」ではなく、撮られた写真そのものの変化が、そのような展示を必要とした、自然とそのようになった、ということだと思う。
山方さんは、撮影時にカメラを横にするという行為をすると、一つ余計な行為が挟まってしまう感じがすると言っていて、だから以前は必ず横長の構図だったのだが、ハーフサイズのカメラ(フィルムの一コマを二つに分ける)を買ったことで、普通にカメラを構えると縦長構図になるから、結果、作品が縦構図になって、それによって撮影するものとの距離感も変化したそうだ。歩くなかで写真が撮られる(歩くために撮るのか、撮るために歩くのか、というのではなく、歩くという行為のなかで撮る)という感じも含め、身体と行為とカメラとの関係によって作品が出来てくるみたいな感触が作品からダイレクトに見えてくるところが、ぼくにとって山方さんの写真の面白いと思うところだ。