●午後三時前にはもう夕方みたいな光だ。
●お知らせ。七日(金)付けの東京新聞、夕刊に、山本現代でやっている小林耕平展のレビューが載る予定です。
●『中二病でも恋がしたい!』。前回と今回は観ていて恥ずかしなるくらいのベタな展開。でも、こういうリア充的ベタ展開は、この種のアニメではもっとも避けられているものではないだろうか。そこに何の逡巡もひねりもなくあっさり踏み込んでゆくのが意外だった。こういう方向に行くのだろうということは前々回から考えればだいたい予想はつくけど、どういう形で踏み込むのかと思っていたら、あっさりベタに来たという感じ。「見上げてごらん夜の星を」はちょっと反則だと思うけど。
アニメが文化祭を描くと、その祝祭的な時空の幸福感の方にぐっと引っ張られるのが常だと思うけど、ここでは文化祭の描写は圧縮されてあくまで背景として作用するものに留められている(まあ、文化祭的な感じはこの作品の最初の方でたっぷり描かれていたし)。リア充は、文化祭的時空そのものを楽しむのではなく、文化祭的雰囲気を背景として利用しつつ、文化祭を置き去りにして抜け駆けするのだ、ということを教えられた(今更教えられても遅いけど)。
それにしてもこの作品は常に、陳腐になってしまいそうなきわきわの線上で展開する。次の展開しだいでは作品が一気にダメになってしまうという感じで。だからこそ次が見逃せない。今回も、眼帯を外すというところまで踏み込んだことには驚かされた。もしこの作品が、「中二病」をたんに成長によって克服されるべき何ものかとすることで着地するとしたら、それこそすべては台無しになる。まあ、今まで観てきた感じからすれば、そんな単純なことには決してならないだろうというくらいの信頼はあるけど。タカナシの「転向」がこの後どういう形になるのかは、とても重要なことだ。
●『ロボティクス・ノーツ』。「中二病…」が次々と「攻めの展開」をみせるのとは逆に、ここでは徹底して何もはじらない。何かが始まりそうになって、おお、ようやく来たか、と思うと、その都度それは空気が抜けるみたいにシーュッとなっていなされる。なんかすごくいろいろありそうなのに、いろいろありそうな感じが積み重なるだけで、流れは未だ淡々としている。こっちはこっちで、どこまでこの感じでひっぱるのかというのがとても楽しみ。フラウとゲジ姉の間で話が通じるところがよかった。
●「中二病…」も「ロボティクス…」もどちらも、虚構と現実(仮想現実と現実)というようなつまらない二元論ではなく、位相の異なる複数のフィクションの絡み合いと相互作用によって現実が構成されているという構えになっているところは共通している。現実がそのようにあるとして、その現実の「底」をどのようにして確定するのかということが、きっと「中二病…」では問題となっていて、一方「ロボティクス…」ではいまのところ、「底」が抜けてしまっていても、複数のフィクション間の相互協調が働いているかぎり、現実は淡々と進行する、という感じになっている。もちろん、その相互協調が、いつでも安定して働くという保証はないのだけど。