ニコニコ動画で『ロボティクス・ノーツ』の聖地巡礼動画を見つけた。これを観ると、本当にそのまんまなのだなあと思う。
http://www.nicovideo.jp/watch/nm19050632
動画を見ただけで実際に種子島まで行ったわけではないのだけど、実在する場所がここまでフィクションの舞台として忠実に再現されていると、そのフィクションになじんだ者にとっては、もともと先にあった現実の空間の方こそが、フィクションをもとに再現された場所(ディズニーランドと、そういうような、行ったことないけど)であるかのように思えてしまう。とはいえ、そこには地元の人がちゃんと生活していたり、JAXAがロケットや人工衛星をつくったりしている。いや、フィクションのなかでも、地元の人は生活しているし、JAXAもある。だからやはり、ここに生じるのは並行世界的な感触だと言えるのではないか。
昔から、例えばこの俳句はここで詠まれたとか、この小説の舞台はここだ、みたいな石碑があったりするし、映画のロケ地めぐりのようなことをする人はいた。ぼくが知っている限りで聖地巡礼みたいにことのはしりは『時をかける少女』(83年)で、尾道のロケで使われた場所に実際に行ってみたという人が高校の同級生でいた。あるいは大瀧詠一は、小津の『長屋紳士録』に何度も出てくる寝小便布団が干してあるカットが実際にどこで撮られたのかを調べ、すべてのカットが違う場所で撮影されていたことを突き止めたと言っていた。もう二十年近く前のことだから今はどうか知らないけど、新宮の駅を出て、『枯木灘』に書かれた通りに行くと実際に(竹原建設ではなく)中上建設に行き着くことが出来ると言っていた友人がいた。俳句や小説の石碑とかは、、実際は現実の空間が有名作品によって泊がつけられるみたいな感じが強いだろうと思うけど、現実空間に俳句や小説がタグ付けされる。作品と(区別のためにとりあえずこういう言い方をするけど)現実空間とはリンク付けられて、互いに支え合うというか、作用し合っている。とはいえ、それは作品−モデル(あるいは素材)という関係の範囲内にあり、それが並行世界的な同等な感触をリアルに立ち上げるというほどではないと思う(ただ、中上健次はけっこうそれに近いところまで行っている気がする)。
ロボティクス・ノーツ』というフィクション内でも、フィクション内の「現実空間」と「仮想的空間」のリンクは問題となっている。たとえば「君島レポート」が実際に記録・保存されているのは、世界中のどこかあるサーバ内だと思われるが、それにアクセスするためには、「居ル夫。」がインストールされたポケコンというモバイルコンピューターを持つ者が地球上の具体的な「ある位置」にいるということが、GPSによる位置情報によって確認される必要がある。実際に「その場所」に何かがあるわけではないけど、「その場所」という位置情報がアクセスするためのパスワードの一つとなっているから、その場所に何か(君島レポート)が隠されているのと同じ意味をもつことになる。その時、実在する「この地球」そのものが、暗号の支持体となっていると言える。この時、暗号の支持体として君島レポートへのキーが埋め込まれている隙間のない位置情報の塊としての地球と、ポケコンを持つ主人公が存在している物理的な地球とは、別物でありながらもぴったりと重なっているという言い方も可能だ(位置情報の塊としての地球は、人工衛星と地球上のさまざまなコンピューター、サーバのネットワークのなかに存在する)。並行世界的な感触は、それよってリアルになる。
あるいは、「居ル夫。」内に存在するアイリ(ゲジ姉)というAIもまた、アイコンをもった作動するプログラムであるから、地球上の具体的などこかの位置に存在するわけではない。でも、最初は宇宙ヶ丘公園という特定の位置情報を発しているポケコンにしか呼びかけを行うことが出来なかった(一度、主人公とのリンクが開ければ、主人公のポケコンならどの位置にあっても応答可能となるようだけど)から、事実上、宇宙ヶ丘公園内に存在しているのと同じ意味になる。アイリ(ゲジ姉)もまた、君島レポートと同様に、隙間のない位置情報の塊としての地球のどこかに「存在している」と言っていいのではないか。位置情報の塊としての地球と物理的な地球とは、互いに互いを反映する鏡であるように同等で、ぴったりと重なりあい、「居ル夫。」とポケコンを媒介として交通することも出来るが、根本的には別次元の世界であるとも言える。この時、どちかかが現実でどちらかが仮想だということは出来なくて、どちらも同等に現実であり、しかし「存在する」ということの定義が異なる並行世界であると言うしかない。
これはあくまで『ロボティクス・ノーツ』というフィクション内での並行世界間の関係だけど、リンクしたような動画を観る時、その関係が、『ロボティクス・ノーツ』というフィクションと、そのフィクションが生み出されたこの現実との関係との間にも成り立っているかのような「実質的な感触」が立ち上がってくる(さらに、『ロボティクス・ノーツ』というアニメ作品は、その原作としてゲームという並行世界をもつし、関連作品として、『シュタインズ・ゲート』、『カオス・ベッド』という並行世界をもつ、アニメ『カオス・ベッド』は全然面白くなかったけど)。