●昨日の「サイエンスゼロ」でバーチャルリアリティの特集をやっていた。技術的に何か新しいブレイクスルーがあったということではなく、ヘッドマウントディスプレイの精度が上がったことと、ふつうの人が買える値段で商品になるくらい安価につくれるようになったことで、今後広く一般に普及するだろうというような話だった。
VRには三つくらいのタイプがあると思う。一つめは没入型で、番組で主に紹介されていたヘッドマウントディスプレイのように、いま、こことは異なる別の空間に没入するタイプ。二つめは多重フレーム型。番組の冒頭でやっていた、新橋の、交通博物館が以前あった場所に行ってタブレットPCのカメラを向けると、ディスプレイに過去にあった博物館の光景があらわれる、というのがその例。これは、完全に別の空間に入り込むのではなく、現実とヴァーチャル空間とが二重化されているところがミソとなる。現在の「ここ」と過去の(ヴァーチャルな)「ここ」とがズレたまま共存する。GPSによって、自分が今居る「ここ」と、地図上の「ここ」とを対応させるなど、地図をヴァーチャルと考えると現時点でもこれは充分に普及している。三つめは一体型。これはAR(拡張現実)とも言えて、現実空間と仮想空間とが切れ目なくつながって、この現実そのものがヴァーチャル化する。あるいはヴァーチャルが現実の方に出てくる(貞子みたいに)。落合陽一が「魔法の世紀」で書いているようなこと。番組では三つめの一体型VRには触れていなかった。
(3Dスキャナと3Dプリンタにより二次元と三次元とが繋がる、というのは、二番目でもあり、三番目でもある。)
三つの異なるVRが多層的に重なることで、我々の空間や時間に関する感覚はかなり変化するのではないかと思われる。で、この三つの異なる型のVRのそれぞれを題材とすることで、フィクションも、それぞれに異なる形があらわれる。アニメを例として挙げてみる。
一つめの没入型VRを扱ったフィクションはたくさんある。没入型バーチャルゲームの世界に行ったきり戻ってこられなくなったという物語のアニメは「ソードアート・オンライン」など一時とても流行った。これらは技術化されたファンタジーとも言える。二つめの多重フレーム型VRは地味で、スペクタクル的ではないのであまり目立った例はないが、「攻殻」などで視野の隅に様々な情報が重なっている、みたいな、細部での地味な使われ方ではけっこう多く出てくる。多重フレーム型VRを物語のなかで非常に重要な役割をもたせて使っている数少ないアニメの一つに「ロボティクス・ノーツ」がある。ポケコンと呼ばれるタブレットPCで用いられる「居ル夫。」という多重フレーム型VRのアプリが物語の中核にある。三つめについては、フィクションとして描かれている技術がリアルに実現しそうなものとはかなり異なってしまってはいるが、一体型というところは同じ「電脳コイル」が代表的なアニメとしてあげられる。一体型VRによって(別世界へ没入するのではなく)現実世界のなかで魔法が使えるようになる。
そして、題材となっているVRのタイプの違いが、それぞれの物語の(世界観)あり方の根本の違いと対応している。具体的には、「こちら側(此岸)」と「向こう側(彼岸)」の構成のされ方とその越境のあり様が異なってくる。
……というような、テクノロジーとフィクションの関係についての考察(主にアニメを題材とする)を、四月の中頃から、勁草書房のウェブサイトで連載としてはじめる予定です(という、宣伝でした)。
●最初は二月くらいの開始をめどに話を進めていたのだけど、ぼくがいろいろ欲張って書けなくなって遅れました。第一回の原稿はもう書いて送ってあるので、今度はちゃんとはじまるはず。