●お知らせ。永瀬恭一さんが編集する雑誌「組立−転回」の内容が公開されました。
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20140221
ぼくはここに、「機械の冥界と魂の冥界/井上実《空地の端》をめぐって」という論考を書いています。去年観ることのできた美術作品で衝撃を受けたものが二つあって、一つは井上実の絵画「空地の端」で、もう一つが高谷史郎の映像インスタレーション「Toposcan」でした。ここでは対象作品を井上実の一枚の絵画作品に絞って、それについて、この作品のすごさにどうしたら少しでも近づけるのかということを考えて書きました。ほとんどトンデモと言ってもいいようなアプローチをしていますが、そのくらいの無茶をしないと届かない感じだったわけです。
●クリス・デイブの動画を観る。昨日も書いたけど、音楽を聴くというより、体の動きを観ている感じで。時には、音を切って画面だけ観る。ぼくにとっては、音がなくて、動きだけの状態の方がすんなりと音楽を感じられるのかもしれないとも思う。その時に考えているのは、おそらく下に引用するようなこと。
≪並列プログラムのデバッグが難しいのは、それが複数プロセス間で時間を共有してくれないからで、並列プロセス間のリズムが、20世紀前衛音楽風に毎回ズレてて再現できない。なかなか再現できないが、時々起る異常を探して、あたしは奴の内面をあたしでエミュレートしようとする。残念ながら、あたしがエミュレートする奴は既にリズムが違う奴だし、人間はどうしても順序に縛られ、並列に動くものをシミュレートできないから、結局、本当の奴、速い方の奴をエミュレートできない。あたしは、あたしの中にいる奴を修復するロジックを考え、それを逆用して奴に埋め込み、アドリブとしてのバグを、必然へと変えようとする。再現性、パターンさえあれば、あとは何とかなる。人類の歴史。≫
上の引用は、西川アサキ「剣山を横へ。お前はもう死んでいる」より。ここで「奴」とは勿論コンピュータプログラムのこと。「あたし」が「彼」と電話で会話しながら並列化したブログムのバグを探している場面。これだけの短い文のなかに、重要なことがらと思考が圧縮されてぎっしりと埋め込まれている。こういうことができるのは「小説」だからで、しかし人はなぜもっと、こんなに(二十世紀の前衛小説が色あせるほどに)すごい「小説」があることに驚かないのか、と思う。
(例えば、ぼくがクリス・デイブを聴くとき、クリス・デイブとぼくとの関係は、並列プログラムとそれをエミュレートしようとしている「あたし」に近い、と言えるのか。)
この小説には、綾波初号機と綾波系867号という、二人の(おそらく)人工知能が出てくる。初号機と867号とではスペックが大きく異なるので、867号が容易に理解できることを理解すために初号機は十万年の時間を必要とする。それについて、綾波系867号は次のように内省する。
≪私の体験、クオリアの数。私の意識の回数。それは初号機の何倍に相当するのか? とりあえず四通り考えてみる。(1)計算速度の違いに正比例 (2)実はうまく変換すると同じ数 (3)計算速度に反比例し、初号機の方が多い (4)比較不能なので、問いに意味がない***と867号は考える***ゆえに彼女は存在する。
(1)比例と(4)不可知はヒトの常識。(1)比例は「速ければたくさんの意識」(4)不可知は「他人の心は分からない」だから。でも、(2)同型と(3)反比例はヒトの非常識。(2)同型は「あらゆる心はある意味で同じ」(3)反比例は、「ゆっくりしているほど、意識は多い」。ゆえに、彼女は存在する。同じ思考を二度繰り返すことの意味は? 時間方向、あるいは今まさに、この文字へと焦点を合わせている視線の奥にいるはずの上位端末に問う。≫
(例えば、ぼくがクリス・デイブを聴くとき、クリス・デイブ自身が感じているリズム感と、ぼくがクリス・デイブを聴くことで受け取るリズム感とには、どのような関係があるのか、というようなこと。もし仮にぼくが十万年かけてクリス・デイブに追いつくとすれば、即興的にドラムを叩くクリス・デイブと、十万年かけてそこに追いつくぼくと、その経験、クオリアにはどのような違いが生じているのか、とか。)
順序依存と速さ、つまり時間に対する根本的な懐疑のようなものが、おそらくここにはある。
≪あたしたちが時間だと思うのは、本当は空間で、あたしたちの持続は宇宙の間、サヤエンドウ達の間に流れている。今のところ、物理にはサヤエンドウ内のことしか書いていないから、意識がそれを横へ繋ぐのは勝手。書き終えた小説を推敲する作者。違う版が次々に上書きされていく***違う***既にある別々の版を繋いでゆく横糸を更新と勘違いしている。あたしたちは、可能性の膨大さを新しさと取り違え、有史以来、全人類の脳が行った計算を一秒でシミュレートする機械をうまく想像できない。バクテリアが夢見る脳。≫