●立川シネマシティで『エヴァ破』、三回目。必要があって観た。ちょっと前に『エヴァ破』についての原稿を書いたのだが、細かい部分の間違いを編集者から指摘されたので、それを自分の目で確認するのと、その部分の改稿について考えるために。確かに、間違っていた。よく見なければわからないような、とても細かい部分なのだが。『エヴァ破』については、テレビ版や旧劇場版なども観直して、細かいところから議論をはじめる感じで書いたので、この部分の間違いはけっこう痛い。
三回目の感想としては、とても面白いけどあまり面白くない、という感じだ。ロボットアニメとしての完成度は本当にすばらしいのだが、作品としては凡庸なものになった、と。それと、いくらなんでもアスカの扱いがひどすぎる。マリを二号機に乗せるために、邪魔になったアスカをあんなふうにしたとしか思えない。「Q」は全然違う方向に話が動き出す(眼帯をしたアスカの再生?)みたいなので、今後に期待(アスカ=二号機にしても、マリ=パラシュートにしても、『エヴァ破』では女の子のキャラクターは空から降ってくるのだが、これは宮崎駿へのオマージュなのだろうか)。
前に観たとき、使徒がエヴァ初号機(じゃなくて「零号機」、また間違えた)を取り込んでしまう場面が何かとそっくりだと感じたのだが、それが何か思い出せなかった。今回観ていて、それが、『フリクリ』でカンチがたっくんを取り込むところにそっくりなのだと気づいた。最後の方でエヴァが宙に浮くときの感じも、カンチが飛んでいるところとそっくり。シンジが使徒からレイを救い出す場面は『トップ2』みたいだし、そういう意味で、ガイナックス(カラー)の歴史的な主題と技術が総動員されている。そういう次元では本当にすごい。この人たちの技術はとてつもなくて、ハリウッド製のCGとかよりずっと面白いとぼくは思う。それはおそらく、デザイン力や造形力というよりも(もちろん、それもすごいのだが)、空間把握力(空間的構想力)が優れているためだと思う。絵が動く、ロボットが動くというのは、同時に空間が動くということなのだ。宮崎駿がすごいのもそこだ。たとえば京アニの作品で、ダンスや楽器の演奏の動きがいくら細かく捉えられていたとしても、それはたんに「物の動き」であって、空間は平板で動かない。せいぜい「構図が凝っている」という次元だ。
でも、ぼくは『エヴァ』より、『フリクリ』の方が好きだと改めて思った。
●観終わってから、映画館の近くの喫茶店で原稿を直す。