●前に、「荒木飛呂彦を読んでなくてどうする」と説教されたという話をこの日記に書いたら、『ジョジョ』は第四部からだったら入り易いんじゃないかというメールをいただいた。前に挑戦したときは、(スタンドという概念に興味があったので)第三部から入ったのだが、ぼくには「絵」が駄目で、全然先に進めなかった。とにかく、目が絵のなかに入っていけないのだ。無理矢理に視線をねじ込んでも、少し読むとすぐ疲労してしまう。
で、これを機会にと思って、第四部のはじめから再び兆戦してみたのだが、とても面白かった。(今更ではあるけど)今までに知らなかったような面白さ。相変わらず「絵」が苦手で、二、三十ページ読むと目がシバシバしてきて、単行本一冊分も読むと、肩がバリバリに凝ってしまうので、少しずつしか読めないのだが。今、虹村兄弟のところまで読みおわって、面白いのでどんどん先に行きたいのだが、肩の凝りが限界で今日はこれ以上は無理っぽい。
絵が苦手なのは、好き嫌いということよりも、装飾過多(情報過多)で、さらに形態に独自のゆがみがあるので、構造を把握するポイントがなかなか見つからなくて、細部がごちゃごちゃ描いてある絵のなかを小刻みに目を動かしながら構造を探るという作業を常につづけていないと、そこに何が(どういう状態が)描かれているのか把握できない、ということだ。ここに描かれているこの人物の、肩がどこで、どこから腕が出ていて、腰の位置はどこなのか。それがわからないと、この人物とこのスタンドとが、どのような状態で絡み合っているのかがわからない、とか。
さらに、それと同時に、結構、説明的な言葉の量も多くて、絵の構造を探る視線と、言葉を読み取る視線との頭のモードを、その都度細かく切り替えていかなければならないということもある。マンガ読みの人は、こんなに複雑な情報処理をやすやすとやっているのだろうかと思う。だから、目の疲労だけでなく、「読み込もう」という気力というかパワーがけっこう必要で、それも疲れる。それに、基本的に中間のトーンがあまりなく、白と黒とがめまぐるしく交錯する画風なので、さらに目に優しくない。文庫版の、小さなサイズで読んでいるということもあると思うけど。
(ここまで書いて、今、思ったのだが、ぼくは目が悪いので、文字を読むときは本にかなり顔を近づける必要があるのだが、「絵」を把握するには、もっと本から顔を離したほうが良くて、だから、近すぎる距離で絵を見ていたり、遠すぎる距離で文字を読んでいたりとかになってしまいがちで、それで疲れるのかもしれない。もっと大きい版形の本で読めば、そんなに疲れないのかも。)
●でも、第四部のはじめの方は、そのような読みにくさを超えて面白い。スタンドという概念の面白さが、ようやく飲み込めた感じ。スタンドがどういうものなのか、いくら説明を聞いてもいまひとつよく分からなかったのだが、作品を読むと、ちゃんと分かるようになっている。これはすごい発明だと思った。
●『エヴァ破』原稿の直しのつづき。直していると、また、どんどん長くなってしまう。