●昨日の昼過ぎからずっと、今朝の六時ころまで原稿を書いていた。まとまった作家論を書くのは去年の秋以来ということもあって、ずっと考えていたのだが、出だしのひっかかりがなかなか見つけ出せずにいたのを、強引に滑り出させた。散歩しながら考えた冒頭部分を帰ってから書き始めた。部屋でパソコンに向かって書き、夕方からはノートとその作家の本をもって場所を喫茶店に移して書き、部屋に帰って喫茶店でノートに書いた分を直しながらパソコンに入力し、食事した後、書いた分に目を通して直し、さらに先を書き、気がつくと朝になっていた。今回は「三十枚で」とあらかじめ釘をさされているのだが、ようやく滑り出せたという今の時点で既に十三枚分くらいいっている。ぼくは本当に実際書いてみなければ何もみえてこなくて、この滑り出し部分を書いてみて、なんとなく中盤くらいまでの進み行きはみえてきた気がするが、それ以降はまだまったく見通しがたたない。しばらくはこの作家の小説のことだけで頭がいっぱいになる。
長い時間パソコンの前にいると必ず眠りが浅くなり、というか、寝ている時、頭のなかに爆発が起こるような感じでビクッとして何度も目覚めてしまう。寝たのは七時近かったのに、十一時前には目が覚めて、頭がぼんやりしているのにそれ以上は眠れなくなる。仕方がないので、三束百円のそばの残りの一束を茹でて食べ(薬味なし)、散歩にでる。三時ころに散歩から戻り、今、これを書いている。日記を書いたら、喫茶店へ行って、作家論のつづきを書くつもり。
●小説について何か書くという時、ぼくの場合ほとんど、その本の余白が描き込みでびっしりと埋まる。書き込みではなく描き込みで、それは七、八割は言葉ではなく絵だ。その場の状況、空間的な見取り図、地図、その場所での人物の移動の経路、手をあげるとか、振り向くとか、つんのめるとかいう仕草や動き、手袋とかポシェットとかハンカチとかいう小道具、そして作中に書いてあれば必ず描き込むのが、人物の視線の方向とその動き(例えば、振り向いた人の絵を描き、その視線の方向を矢印で示し、その視線の対象を描き、振り返るという動きも、くるっとまわる矢印で示す、とか)。それは、そのページに何が書いてあったかという索引にもなり(だからノートではなく本の余白に描く)、小説の展開が、その詳細まで絵を見るだけでかなりの程度は追える。そのようなやり方が必ずしも良いとは言えないというか、むしろ邪道だと思うし(どうしても絵が描けない場面や小説は、その「描けなさ」を描いておくために妙に歪んだり、不鮮明でいい加減だったりする絵や図を無理矢理に描いておくのだが)、それはあくまでそれについて「書く」という前提があってのことで、普通に本を読む時はしないのだが、でも、それをすることで「ゆっくり読む」ことは可能になり、飛ばし読みがかなりふせげる。
例えば、駅のコンコースがあって、公衆電話があって、その脇にエスカレーターがあるという描写があるとする。しかし、それだけではそのエスカレーターが上っているのか下っているのか分からないとする。その時ぼくは、とりあえずなんとなく思った方の、例えば上へ向かう方向のエスカレーターを描いておく、しばらく読み進めてゆくと、それが下っていることが書いてある。つまりその場所は、ホームや地上より高い位置にあるということだ。そしてその時、改めてそのページに下向きのエスカレーターを描く。そうすると、それを後から見た時、最初にエスカレーターが出て来たところと、それが「下っている」と分かったところとの時間のズレが、二つの絵の間の距離で分かる。あるいは、登場人物の服装が特に書いていない時、例えば高校生だから制服だろうと予想して、セーラー服っぽいものを描いておくのだが、それがかなり後になって「ボードネックのボーダーのTシャツにバミューダパンツ」と書かれていたとする。えっ、こんなところで、と思いつつ、それを描いておく。そうすると、読みながらぼく自身がイメージしていた人物の像が、読み進めてゆくうちに、どの部分で、どのように変化したか(修正されたか)が、後になってからも分かる(容姿や服装が詳細に書いてあれば絵も詳細になるし、書かれてなければ影のような絵になる)。あるいは、三つ編みという言葉が出て来ると、三つ編みをした人の顔を描いてみようとする。そうすると、どうしても細部がよく分からなくて、すごいいい加減な絵になる。そのことで、ぼくが「三つ編み」という言葉から、どれだけ貧しいイメージしか引き出せないかが分かる。というか、改めて考えてみればぼくは三つ編みについて何も知らないのだということを知る。そんなことをしているうちの余白がいっぱいになる。そうしたなかから、読み取るべきこと、書くべきことをみつける。
ただ、今書いている作家の本は、字の組み方がかわっていて、ほとんど描き込める余白がない。仕方なくノートに描くのだが、本の余白だとあらかじめ限られた面積しかないけど、ノートだといくらでも描き込めるので、どんどん絵が描き加えられていって、なかなか読みすすめなくて、読むのが目的なのか描くのが目的なのか分からなくなってしまうのだった。