●近所のツタヤでマンガのレンタルをやっていて、十冊まとめてだと750円で一週間借りることができる。だから、昨年の末くらいからずっと、一週間に十冊くらいのペースでマンガを読んでいる。いままでごく一部の作家を除いてマンガにはあまり興味なかったし、特にメジャーなマンガはほとんど読んでいなかったのだけど、最近は試しにちょっと手を出したりもしている。ただ、やはりメジャー系は(特に少年マンガは)ちょっと苦手だなあと思う。
一昨日のことだけど、「浦沢直樹の漫勉」という番組をテレビでやっていて、萩尾望都がマンガを描いているところが映し出されていた。「萩尾望都が絵を描いているところ」が見られるのだから、なんだかんだ言ってもテレビってまだ凄いものなんだな、と思った。
ぼくのイメージだと、漫画家が線を描く感じは「ガリッ、ガリッ、シャッ、シャッ」という感じだというのがあって(素早く、決定的な線を引く、という感じ)、実際、画面に出ていた浦沢直樹は、まさにぼくのイメージ通りの「漫画家の描き方」だったのだが、萩尾望都はかなり違った。「チョン、チョン、チョン、ググ、グググ」という感じ。一つのタッチの単位が短くて、ペンの運びがすごくゆっくりだった。決定的な線を引くのではなく、小さい単位のタッチの集積が線になり、トーンになってゆく感じ。番組で浦沢直樹が、彫刻家が彫っている感じと言っていたけど、どちらかというと、銅版画家がニードルでグランドを削っている感じ。シャッと素早く引かれる線ではないから、絵は、細かい単位での方向の変化や密度の違いが出てくる。細かい揺らぎが出来る。
実際に描いているところを見るというのはすごく情報量が多くて、今の若い人はこういうものを見て勉強できてすごくうらやましいと思った。なんで、セザンヌやマティスは描いているところの映像を残してくれなかったのか、と。
で、いろいろな漫画家のなかで、今、「どう描いているか」を見てみたいと一番思うのは何と言っても「浅野いにお」だろうと思ったら、もう既にこの「漫勉」という番組で取り上げていて、検索したら動画を見ることが出来た。
これがすごく面白かった。確か斎藤環が、マンガは、多層的だけど各層がユニゾン的に同期するということを言っていて、確かにそういう傾向は強くあるように思われる(特に、少年マンガやメジャーなストーリーマンガはそのような傾向が強いかもしれない、「進撃の巨人」などまさにそういう感じ)。だけど、それに対する強力な反証として浅野いにおが挙げられるように思われる。浅野いにおの作品では、多層的重なりというより、層と層との間に隙間や乖離があるということが重要であるように思われる。で、その理由が制作過程を見るとよく分かる。マンガを「描く」というよりも、一人でアニメを作っている感じに近いように見えた。
絵コンテを描き、作画をやり、美術や効果をやり、撮影をやり……、というような(漫画家は誰でもそうかもしれないけど、各パート間の行き来やその合成のやり方がアニメっぽい)。ペンの種類の使い分け、デジタルの使い方、デジタルと手描きの合成の仕方など、複数のメディアの間を行き来する感じが、まさに多平面的制作過程になっている感じ。そして、それはアニメじゃなくても出来るのだということを示していて、ぼくにとってもとても刺激的だった。