●「漫勉」の五十嵐大介の回を観ていて、今まで出てきた他のマンガ家の人たちとかなり違っている感じが面白かった。追いつめられている感じとか、キツそうな感じとかが全然なくて、ひたすら楽しそうに描いているように見える。アクションはまだ慣れてないから苦労して描いてます、とか、豹人間の顔の角度を五回も描き直しました、とか、ぼくみたいなマンガだと女の子がかわいくないと誰もみてくれないから必死ですよ、とか言っていても、その苦労する過程を嬉々として味わってやっているようにしか見えない。これだけ上手けりゃそりゃあ楽しいよな、とも思うのだけど、あまりにも易々と描いているように見えるから、そのうち、自分にもこのくらい描けるんじゃないかという勘違いさえ生じてきてしまう。
それはもちろん勘違いなのだけど、そのような勘違いを生ませてしまう力はきっと重要で、勘違いして描いてみたけどやはり全然描けませんでした、というところから、深みにはまる人ははまるのだと思う。この「楽しそう」な感じは人を泥沼の深みへと誘う危険な誘惑だけど、この誘惑にひっかけられてしまった人のなかから、新しいマンガ家が生まれるのだろう。
(絵が上手い人は、こんな風に「易々と描く」感じで描く。で、「易々と描く」その感じとか呼吸になんとなく触れるだけで、その人も---同じように易々と描けるようになるわけではないとしても---数パーセントくらいはきっと絵が上手くなっている。上手い人が描いているところを見られるのが貴重なのは---具体的な技法を知れるということもあるけど、それより---いい感じで描いている時の雰囲気のようなものに触れられるからだと思う。雰囲気のもつ情報量はすごく多い。)