●用事に追われていてストレスと感じるのは、この日記をゆっくりと書いている時間がとれないということだと気がついた。この日記はとくに何の目的もなく、定められた形もなく、ただ考えたことを書き、書くことによって考えるために書くのだが(そのように考えたり書いたりしたものを、後からなにかしらの目的のために流用することはあるのだが、この日記自体は、なにかの目的に向けて書かれているのではない)、目的のある用事に追われていると、そのような時間をつくることが難しくなる。
用事に追われているとか忙しいとか言ってもたかがしれているわけで、けっこうぼんやり音楽を聴いていたり散歩していたりもするわけだけど、目的があったり、締め切りがあったり、約束があったりする行為に追われていると、そういうこととは関係なく、ただ思いついたり、考えたり、調べたりするという方向へ頭が向かいにくくなる。なにより、ただ考えたり書いたりしているときは、通常の意味で「時間を気にする」ということがなくなっているので、知らない間にかなり時間がたっている。それは、一時間だけ散歩をしてこようとか、二十分くらい休憩しようとかいうように、一定の時間を区切ってでは行えないようなことだ。ぱっと思いついて、さっと書いて終わりということもあれば、やばい沼にはまって、これはなんか違うなあといろいろ直しているうちに一日が過ぎて、けっきょくすべてボツにしてしまうこともある。なんの約束もないから、すべてボツにしても特に困ることはない。
(いったいどれだけの時間を、まったく日の目を見ないもののための行為に費やしてきたのだろうか。)
目的や締め切りや約束があることばかりをしていると、そっちの方から来る限定が強く効き過ぎてしまうようになり、「ただ考える」ということが抑制されてしまいがちになる。目的や締め切りや約束そのものが問題だというわけではなく、そっちの方から来る限定に頭の使い方が拘束されてしまうことがストレスであり、問題なのだろうと思う。
(とはいえ、目的や締め切りや約束がまったくない場合、目的のない沼のなかにどこまでも埋没してしまうということにもなりかねない。これは程度の問題だ。)