●専門家の予測はしばしば外れる。たとえば、コロナにかんして、ウィルス学者の宮沢孝幸の見解は完全に外れたと言えると思う。しかしここで、専門家の予測があてにならないことをもって、専門家の専門知まであてにならないと考えるのは危険だと思う。
おそらく宮沢孝幸のウィルスにかんする知は完璧なのだろう。ただ、日本の医療体制がどうなっているについての知識や、マクロなレベルで感染がどのように拡大しそれを止めるにはどのようなやり方が有効かという、社会工学的な知識や、あるいは経済にかんする知識などは充分ではないだろう。だから、総合的な判断のレベルで間違うのだろう。専門家会議に、複数の、様々な分野の専門家が(いわゆる「政治家」も含め)参加する必要があるのは、高い精度の予測のために、総合的な判断をしなければならないからだろう。
つまり、専門知だけでは総合的な判断ができないから、専門家の予測はしばしば外れるのであって、専門知そのものがあてにならないわけではない。この部分を間違って、専門家の言うことはそもそもあてにならないと思い、専門知そのものへの信頼を失ってしまうと、かんたんにオカルトやトンデモ科学や陰謀論の餌食になってしまう土壌ができあがる。
それは、どんなに立派な専門家であっても、自分がなにを知っていて、なにを知らないのかを、知らないといけない、ということだと思う。ときどきネットで、工学博士みたいな肩書をもつ人が、相対性理論は間違っている、みたいなトンデモ説を唱えていたりするのをみかける。工学博士なのだから、当然、物理学にかんする基礎的な(というかそれ以上の)教育は受けているはずだし、博士過程を出ているのだからそもそも頭の良い人であるはずだ。それでもトンデモ説にはまってしまうのはなぜなのか不思議だったのだが、おそらくそれは、自分がなにを知らないかを知らず、自分が知っていることだけで世界を組み立てようとするから、そうなるのではないか。
逆からみれば、トンデモ説や陰謀論にハマってしまわないためには、自分がなにを知らないのかということを知っておく必要があるのではないかと思った。
(自分が、世界のすべてを知っているのではない以上、自分の知らないことについては、ある程度「権威主義的」である必要があるように思う。権威主義は、他者や制度(他者たちによって積み上げられたもの)への、ある程度以上の信頼がないと成り立たない。「あらゆる権威を疑う」結果、たわいもない嘘にひっかかる、ということはあると思う。)