2021-01-19

フロイトの女性性についての理論への疑義を示しながらも、精神分析フェミニズムは、基本的には同じ方向を向いたパラレルなムーブメントなのだという見解が述べられていて興味深かった(精神分析が「声を与えられてこなかった者に声を与え」るものだというのは、なるほどと思った)。以下、『精神分析にとって女とは何か』第一章「精神分析フェミニズム---その対立と融合の歴史」(北村婦美)より。

《(…)よく引き合いに出される「解剖学的性差は宿命である(Anatomy is destiny)」といったフロイトの言い回しは、しばしば「生まれつきの生物学的性差がそのまま心理学的な女性性、男性性を決定づける」(…)という生物学主義と誤解されている。しかし、フロイトの主張をよく読むと、女性性はペニスのない自分の解剖学的形態に女性本人が気づいた時から始まるとされている。フロイトの女性論は、実は出生後に受けた心理的印象から女性性が発展してくるという、構築主義敵な考え方なのだ。フロイトは、女性性や男性性といたジェンダーは自然に当たり前に発展してくるのだという素朴な生物学主義に待ったをかけ、ジェンダーの生り立ちには生後の生育環境から受ける心理的影響も関係しているという発想を持ち込んだのである。》

《加えてフロイトは、ヒステリーを患う女性たちの話に耳を傾けることを通じて、それまで社会的には本当の意味で声を持たない存在だった彼女たちに声を与え、彼女たちの主体を立ち上がらせる手助けをした。催眠、前額法、そして自由連想と、当初は治療者が圧倒的な能動者として受動的な患者に命じたり影響を与えたりして「治す」という治療者-患者関係を取っていたフロイトは、徐々に治療のプロセスを進める主体性を患者へと委譲していった。もちろんフロイトは、最初から意図してこのような歩みを進めたわけのではない。けれども時代を振り返ってみると、こうした精神分析のムーブメントは、ジェシカ・ベンジャミンのいうように、女性が自分たちの声を獲得しようとするフェミニズムのムーブメントと、ちょうどパラレルに進んでいたことがわかる(Benjamin1988)。アンナ・O・ことベルタ・パッペンハイムは、精神分析の始まりを告げる『ヒステリー研究』に登場するもっとも有名な女性患者であるが、彼女はブロイアーとの「お話し療法(トーキングキュア)」後しばらくの療養期間を経て、当時ユダヤ人社会の中でも日の当たらない存在であったユダヤ女性や孤児たちの状況を調査したり、その権利を保護したりする運動を率いる人物になっていく。「家庭内に閉じこめられた娘」であり「ヒステリー患者」という受動の極みに置かれていた人が、かつて誰も挑戦したことのない課題に挑む能動的かつ創造的な人物へと立ち上がっていったのである。実際1909年、フロイトアメリカ クラーク大学で「症例アンナ・O」について講演しているのと同じ年、まさにその「症例アンナ・O」であったベルタ・パッペンハイムは、同じ北米大陸のカナダ トロントで、国際女性会議に出席するまでになっていたのだ。》

精神分析フェミニズムは、特に第二波フェミニズムの時代には対立関係にあり、まったく相容れないものとされていた。しかし両者は上記のように、声を与えられてこなかった者に声を与え、主体性を認められてこなかった者に主体を立ち上がらせるという意味で、同じ道を歩んできたのである。精神分析フェミニズムは、ジュリエット・ミッチェルやナンシー・チョドロウによって融合の道をたどり始め、そうして精神分析理論を用いたフェミニズム理論である「精神分析フェミニズム」が生まれた。そしてそれはジェシカ・ベンジャミンらによってさらに精緻化され、こんどは精神分析の内部に、新しいジェンダー論をもたらしつつある。》