2020-12-20

●今年中にすべき大変なことはやり終えた。図書館に行って、分厚いミステリ小説を借りてきて、一日中読んだ。今年は、文芸誌の仕事に多くの時間と力をそそぐことになった。なので、そういう傾向とは違う本に対する渇望のような感覚があったから。

(でも、まあ、これ一冊で当分はいいかなあと思った。)

2020-12-19

●夢にはじめて「コロナ禍」という言葉がでてきた。マスクをつけている人はいなかったが、みんなやたらと手を洗っていた。

●来年、1クォーター(二か月)だけ、大学の非常勤講師をすることになった(美大ではないし、教えるのも美術ではない…)。週に二コマで、計14回の講義を担当する。それで、大学から届いた提出書類に履歴書があった。学歴のところに、「学位」を書く欄があるのだけど、自分が取得した学位を知らないことに気づいた。

学部卒なので学士にはちがいないのだが、美大の絵画科を出てもらえる学位は何なのだろうか。そもそも卒論も書いていないのに本当に学位をもってると言えるのか。それで、出身大学のホームページに(おそらく初めて)アクセスして調べてみたら、「学士(造形)」となっていて、ベタにそのまんまなんだなと思った。

2020-12-18

芥川賞候補が発表された。今年に限っては、芥川賞の対象作すべてを読んでいるので、そのなかで選ばれた五作の並びを見て、うーん、納得できないなあ、というのが正直なところ。たんじゅんに、「水と礫」と「おもろい以外いらんねん」がなぜ入っていないのか、と。

ぼく個人としての、下半期の芥川賞対象作のなかでのナンバーワンは「わがままロマンサー」。

2020-12-17

●専門家の予測はしばしば外れる。たとえば、コロナにかんして、ウィルス学者の宮沢孝幸の見解は完全に外れたと言えると思う。しかしここで、専門家の予測があてにならないことをもって、専門家の専門知まであてにならないと考えるのは危険だと思う。

おそらく宮沢孝幸のウィルスにかんする知は完璧なのだろう。ただ、日本の医療体制がどうなっているについての知識や、マクロなレベルで感染がどのように拡大しそれを止めるにはどのようなやり方が有効かという、社会工学的な知識や、あるいは経済にかんする知識などは充分ではないだろう。だから、総合的な判断のレベルで間違うのだろう。専門家会議に、複数の、様々な分野の専門家が(いわゆる「政治家」も含め)参加する必要があるのは、高い精度の予測のために、総合的な判断をしなければならないからだろう。

つまり、専門知だけでは総合的な判断ができないから、専門家の予測はしばしば外れるのであって、専門知そのものがあてにならないわけではない。この部分を間違って、専門家の言うことはそもそもあてにならないと思い、専門知そのものへの信頼を失ってしまうと、かんたんにオカルトやトンデモ科学や陰謀論の餌食になってしまう土壌ができあがる。

それは、どんなに立派な専門家であっても、自分がなにを知っていて、なにを知らないのかを、知らないといけない、ということだと思う。ときどきネットで、工学博士みたいな肩書をもつ人が、相対性理論は間違っている、みたいなトンデモ説を唱えていたりするのをみかける。工学博士なのだから、当然、物理学にかんする基礎的な(というかそれ以上の)教育は受けているはずだし、博士過程を出ているのだからそもそも頭の良い人であるはずだ。それでもトンデモ説にはまってしまうのはなぜなのか不思議だったのだが、おそらくそれは、自分がなにを知らないかを知らず、自分が知っていることだけで世界を組み立てようとするから、そうなるのではないか。

逆からみれば、トンデモ説や陰謀論にハマってしまわないためには、自分がなにを知らないのかということを知っておく必要があるのではないかと思った。

(自分が、世界のすべてを知っているのではない以上、自分の知らないことについては、ある程度「権威主義的」である必要があるように思う。権威主義は、他者や制度(他者たちによって積み上げられたもの)への、ある程度以上の信頼がないと成り立たない。「あらゆる権威を疑う」結果、たわいもない嘘にひっかかる、ということはあると思う。)

2020-12-16

●ネットでたまたまみかけたのだけど、映画版の『ビー・バップ・ハイスクール』を最近はじめて観たという(おそらく若い)人が、この映画に頻出する「シャバゾウ」という語を、非ヤンキーを示す不良たちの(今では死語となっている)隠語と解釈していて、なるほど、そう考えることもできるのか、と思った。

どうでもいいと言えばどうでもいいのだけど、でもそれは間違いで、「シャバゾウ」は原作者きうちかずひろの出身地である福岡の方言で、「根性無し」「意気地無し」という意味で、おそらく方言としては今でも使われている。

(とはいえ、映画版「ビーバップ」は明らかに関東で撮影され、登場人物も関東色がつよく、博多っぽい感じはほぼないので、事実上、隠語のように使われていることになる。)

また、「ヤンキー」という語を使っているけど、『ビー・バップ・ハイスクール』の時代はまだ、(少なくとも関東では)不良少年のことを「ヤンキー」と呼ぶのはあまり一般的ではなかったはず。ヤンキーは字義通り、アメリカ人の俗称という意味の方が強かった。

(八十年代はまだ、ヤンキーではなく、「ツッパリ」と呼ばれていた。近藤真彦『ハイティーンブギ』では、《おまえが望むなら、ツッパリもやめていいぜ》と歌われるし、横浜銀蝿は『ツッパリ High School Rock'n Rol』だ。)

(ウィキペディアには、《関西で使われていた「ヤンキー」という呼称は、1983年に嘉門達夫が「ヤンキーの兄ちゃんのうた」の自主制作盤200枚を全国の有線局へ配って放送したところ全国的に広まり、その年の日本有線大賞と全日本有線放送大賞で新人賞を同時受賞し、定着した》と書かれているので、八十年代後半---85年から88年---につくられた映画版「ビーバップ」の頃には、関東でもすでに「ヤンキー」は定着していたことになる。とはいえ、ぼくの感覚からすると、「ビーバップ」と「ヤンキー」という語は、感じとしてどうしても結びつかない。「ビーバップ」はあくまで「ツッパリ」がしっくりくる感じ。)

(八十年代にはまだ、「ヤンキー」という語に、大阪の不良、大阪風の不良、という、語の出自からくるニュアンスが強く残っていたのかもしれない。)

別にマウントをとりたいわけではなく、思いがけない「解釈」をみて、感心したと同時に、あの頃からこんなにも時間が経ってしまったのだなあと、しみじみしたので、なんとなくこういうことを言いたくなった。

2020-12-15

●倫理の問題を美的に判断するかのような物言いをしないようにしようと、とても思う。たとえば、昔あった「いじめ、かっこ悪い」みたいなのとか、差別主義者に対して「ダサい」と罵倒したりするのとか。差別は「ダサい」から駄目なのではないし、仮にダサくない(かっこいい)としても倫理的に駄目なのだ。

おそらく、我々の心のなかの「道徳観」では、倫理的なものと美的なものとは混ざってしまっていて、切り離すことが難しい。人類は誕生してから歴史的にずっと、美的なコードのなかに倫理的なコードを埋め込み、倫理的なコードのなかに美的なコードを埋め込んできたのだと思う。でもだからこそ、言語化したり論理化したりする時には、意識的に分けて、違うものとして考える必要があるのではないか。

(そこをちゃんと分けないと、倫理も美も、どちらとも、その根拠がどんどん弱くなってしまうと思う。)

ダサくて恥ずかくて馬鹿げたことでも、倫理的に悪くないことは倫理的には悪くはないので勝手にいくらでもやっていい。美的な観点から、自分はあんなことだけは死んでも絶対にやりたくないと思うことを、他人がやっていたからといって、それだけでそれを責めることはできない。というか、責めてはいけない。

(だが、嫌うことはできる。特に理由を示すことなく、ただ嫌だというだけで嫌ってもいい。自由に嫌えるというのが美的な領域の問題だろう。)

(しかし、ただ嫌うことと、嫌いだと表現することとは違ってくる。嫌いだと表現することは、場合によってはそれ自体で暴力となり得る。あなたは倫理的に間違っていると表現することは暴力ではないとしても、あなたは嫌いだと表現することは暴力となってしまうことがある。)

だからこそ、倫理的に間違っていると言う時に、「嫌いだ(ダサい、かっこわるい、醜い)」と言ってはいけないのだと思う(「悪い」「間違っている」と言わなければならない)。すごく言いたくなるのたけど、抑制しないと。

2020-12-14

YouTubeで動画を観ていると、八十年代のプロ野球選手は、今の選手とくらべてずいぶん線が細いという印象がある。高校野球の選手とそんなに変わらない感じさえする。

おそらく、昔の価値観だと、ウェイトトレーニングなどで体をつくるのは悪いことで、ひたすら、走りこんだり、振りこんだりして体をつくることが良しとされていたので、そんなに体が大きくならなかったのではないか。

詳しいわけではないが、おそらく積極的にウェイトトレーニングを取り入れるようになるのは、巨人の桑田くらいからだったのではないか。そして、九十年代になると徐々に、選手たちが全体に、体ががっちりと太い感じになっていく。

で、昨日につづいて落合だが、82年に最初に三冠王になった年のインタビューでは、ホームラン王になれるとは思わなかったし、もう二度となれないだろうと言っていて、将来的に四割打てたら最高だと言っている。つまり、その時点では自分は長距離を打つバッターではないと自覚している。

しかし、85年に二度目の三冠王になったときは、ホームランを52本も打っている(82年は32本)。そして、見た感じとして、82年と85年とでは体の太さがかなり違っている(首の太さとかも)。おそらく、この三年の間に、意識的に体を太くしたというか、体を作り替えたのではないだろうか。

(ずいぶん昔だが、落合信子さんが、夫のことをヘラクレスと呼んでいる、と発言しているのを聞いたことがあるような気がする。)

落合が、ウェイトトレーニングで体を太くしたとはあまり考えられないが、しかし、打率四割を目指すよりも、ホームランの数を増やす必要性(チーム事情なのか、年俸を上げるためなのか)を感じて、なにかしらのやり方で意識的に体を変えていったのではないか。

これらのことは、(動画を観ながら妄想しただけの)きわめて根拠の薄い憶測でしかないが、みんなが細いときに、意識的に太くする、ということを、自分で考えて実行する、というところが、圧倒的に新しかったのではないか、と。