激しい怒りで目が覚める。目が覚めた時点で、もう既に、夢のなかのどんな事に対して怒っていたのかは忘れてしまっているのだが、あまりに激しい怒りの余韻で、身体がぶるぶると震えている。心臓もバクバクいっているし、息もあがっている。
ぼくは何に対してこんなに怒っていたのだろう。自分のなかにある、怒りの感情のあまりの激しさに、自分に対する恐怖さえ感じてしまう。怒りの感情が強すぎると、痙攣のように身体が震えるだけで、何も出来なくなってしまう。夢のなかで、声を出す事さえ出来なかった。ただただ、本当に怒っていた。頭にくる、むかつく、キレる、というのは正確な表現じゃない。胸が締めつけられるような怒り。
ゆっくりと深呼吸。顔を洗って、歯を磨く。今日は寒いけど、久しぶりに冬らしい、いい天気。乾燥した冷たい空気が、気持ちいい。
制作について。去年、一昨年、の個展で発表した作品が、冬の絵画、だとすると、今、作りつつある作品は、春の絵画、になりそぅな気配がする。それはなにも、暖かい春の日溜まりのような絵画、というのではなくて、春になるとアブナイ人が増える、とか、そういう、何かざわざわとした、ものぐるおしい季節、としての春、という意味。去年、一昨年の作品は、かなりストイックな抑制を自らに課していたのだが、それがやや崩れて、ヤバいものが表面に出てくるような感じ。とはいっても、ちょっと見には、ほとんど変わってないのだけど。問題なのは、このヤバさを、どこまで認めてしまっていいのか、ということ。このヤバさに、どこまで身を任せてしまってもいいのか。どこまで自分をコントロールし、どこまでコントロールを放棄してしまっても良いのか。どの辺までのだらしなさを自分に許すのか。この辺の躊躇が、作品をイマイチ中途半端なものにしてしまっているようだ。
まだまだ予断を許さず、どこに着地するのか先の見えていない制作の過程を、こんな風に言葉にしてしまうのはマズイのではないか、という気持ちもあるのだが、これはひとつの実験として、あえて言葉にしてしまいました。どうなることやら。
アトリエとして借りている部屋の隣に、老夫婦が住んでいて、その夫婦が飼っている犬が、ずっと、咽から絞り出すような声で吠えている。
ゴダール「 カラビニエ 」。これは、ゴダールの初期作品の中で、最も重要な作品なのではないか。でも、途中で、無茶苦茶眠くなってしまうのだが・・・。