ひさしぶりに銀座へ出た。すっごく、ひさしぶりに画廊を沢山はしごした。
本当は、行こうと思っていた画廊は2件だけだったのだけど、銀座シネバトスで、クリント・イーストウッドの「 トゥルー・クライム 」を観ようとしたら、時間が中途半端だったので、結果として2時間も、画廊をふらふらと廻ってしまった。まあ、お茶したり、食事したり、本屋やCD屋をひやかしたりして時間を潰してもよかったのだけど、こんな機会でもないと、美術作品を観る、ことをすっかり忘れてしまいそうだったので・・・。
時間潰しでなければ、絶対観ないだろうというものも、かなり観て、刺激になったというより、だんだんと暗く落ち込んできてしまった。そんなに目覚ましい作品が簡単にそこら辺にあるとは始めから思っていないけど、ここまで冴えないものばかりだとなあ・・・。単純に、ごくごく軽薄な意味でも、もうちょっと面白くてもいいんじゃないだろうか。ぼくが学生の頃、まだかなり頻繁に画廊を廻っていた時には、もうちょっと、何かしら面白いものがあったように思うのだけど、あれはただの錯覚だったのだろうか。
銀座という場所柄、ちょっと保守的だからなのかもしれないのだけど、絵画作品が多かったのは以外だった。逆に考えれば、今どき絵画なんて銀座周辺でしか通用しないものになってしまっているのかもしれない。絵画は、銀座・京橋という限定された地域に囲い込まれてしまっているのか。やや被害妄想ぎみにそんなことを考えてしまうくらい、つまらなかった。もしかしたらクオリティーとしては、それほど悪くないものが多いかもしれないのだけど、ヴィヴィッドじゃない、というか、切実さがない、というか、あなた何で絵なんか描いてるの、絵を描くことで何をしたいの、と聞きたくなってしまう。(時々、本当にそう聞いてしまって、この人なに言ってんの、って顔をされたりするけど)
「 絵画 」という前提が、あらかじめあって、はじめからその設定のなかで、あっちよりこっちの方が質が高いでしょ、とか、目新しいでしょ、とか、何が楽しくてそんなことを真剣になってやれるのだろう。お金が儲かるわけでもないのに。美術というもの自体が確かに今、沈滞しているのだけど、とりわけペインティングをやっている人に、何も考えていない人が多すぎるように感じてしまう。絵って、何も考えてなくても、手を動かしていれば、なんとなくそれっぽいものが出来てしまったりするし、そこが面白いところでもあるのだけど、でも、今、そんな暢気なことやってられる時じゃないでしょう。どう考えたって。
こういう他人への悪口は、そのまま自分に跳ね返ってくる訳なのだった。ぼくの作品はどうなんだ、一体。(美術について書くと、なんだかやたらと愚痴っぽくなって、酔っ払いがクダまいてるみたいになってしまう。頭を冷やせ ! ! もっとクールに ! ! ! )
高浜利也という人の、ドローイングがちょっと良かった。版画をやっている人みたいで、メインの作品は版画なんだけど、それはあまり面白くなくて、隅っこにちょこっと展示してあったドローイングが興味深かった。よくあるって言えばよくあるんだけど、手の運動とイメージの生成のせめぎ合い、というか、運動のイメージが、視覚的なイメージに変換されてゆく感じが、ヴィヴィッドに現れていて、いい感じ。こういう当たり前の良さ、っていうのはとても重要で、全てはここから始めなければいけない。でも、この感じが、メインの版画作品に全く生かされてなくて、ただ、ドローイングから形態が拾われているだけ。重要なものを見失わないようにしながら、もっともっと先まで行く、というのは本当に難しいこと。
シネバトスで、クリント・イーストウッドの「 トゥルー・クライム 」。うーん、これは凄い。イーストウッドの最高傑作のひとつなんじゃないかなあ。一方で無実の罪を着せられた死刑囚が、刑を受けるまでの過程を描き、もう一方で仕事はできるがダーティーな新聞記者が、死刑囚の無実を晴らしてゆく過程(それと同時に家庭が崩壊してゆく)が描かれる。そのなかで現代のアメリカのさまざまな問題が丁寧に描かれる。平行モンタージュ、切り返し、フラッシュバック、という映画の王道といえば王道だけど、安易といえばこれ以上安易なものはない、という手法が中心的に使われる。安易にはしりがちな手法を主に用いながら、繊細で堂々とした演出でもって立派な作品に仕上げてしまうという、ほとんど巨匠といってよい境地にまでイーストウッドは達している。イーストウッドって滅茶苦茶カッコいいです。確か1930年生まれ(ゴダールと同じ年)だから、今年で70歳になるというのに、冒頭で23歳の女の子を口説いたりとか、上司の奥さんと浮気してるシーンでは、70歳とは思えない堂々とした裸を見せたりとか(たしかにかなり老いてはいるけど)。前作の「 目撃 」では、すっかり枯れた感じの老け役を演じていたのに、今回は、まだまだ若い者には負けない、って感じで、幅の広いところも見せている。イーストウッドの裸を見て、つくづくこの人は厳しい自己抑制の人なんだなあ、と思う。アメリカの最良の部分を体現している最後の人。しかし、その厳しい自己抑制が、老いによって否応なく崩れてゆく様をスクリーンに刻みつけている、という意味では、とても現代的な作家でもある。
それにしても、土曜の6時30分からの上映なのに、なんでこんなに客席がまばらにしか埋まってないのか。それに、単館ロードショーで、日本ではここでしか観れないなんて。別に特別難しい映画でもないし、ちゃんと宣伝すれば、ある程度はヒットするんじゃないかなあ。