半端じゃない寒さ。
朝帰り、で、家には寄らずに、直接、美容院へ。朝一番だとガラガラなので助かる。サービスでマッサージしてくれる見習いのお姉ちゃんから、随分と肩凝ってますね、と言われる。でも、最近はあまりに凝りがひどいせいか、自覚症状がなくなってしまっている。
「 ガキおやじ 」第1巻、とうとう発売される。まとめて読んでみると、これは予想以上にスバラシイ、スバラシすぎます。巻末に、いがらしみきおが作者の言葉として次のように書いている。
『みんなにこんな漫画やめろって言われる・・・・・』
この言葉が全てを表現してしまっている。今、いがらしみきおは全くあたらしい下ネタの世界を探究しつつある。すごい、すごい。本当に大胆な作家だなあ。
29日からMOTで「 低温火傷 」という展覧会をやるらしい。最近では、美術館なんかで実際に最も中心的に働いている人が、ぼくなんかとかなり近い年齢になってきたせいだと思うのだけど、展覧会のタイトルと作家の人選を見ただけで、やりたいことの「 感じ 」みたいなものが、観る前からなんとなく分かってしまって、その「 分かってしまう 」という感覚が、とても嫌だ。(ぼくは学芸員の人事なんかについてほとんど何も知らないけど、こういう展覧会が30代、つまり80年代の空気をたっぷりと吸って自己形成した人たち、によって企画されたのだろうということは、確信できる。)
しかし、分かってしまう、からこそ、嫌だ、という感じを表明しつづけるのは、すごく難しい。だって実際、ぼくの身体の多くの部分では、それに反応して共感してしまっているのだから。もっと年齢の上の人から、抑圧的にある価値観を押し付けられる、というのならば、それに対して反発もしやすいのだけど、「 なんだかすごくよく分かってしまう 」ことに対して、異を唱えつづける、というのは本当に困難なことだ。ちょっと、違うんじゃないの、という気持ちが、ややもすると(長嶋語)萎えてしまいがちだし、違う、という感覚を、具体的にどうやって表現したらよいのかもよく分らない。
これを認めてしまってはいけないんだ、という自分のなかにある一線のようなものが、時々全く意味のないものに思えてしまうし、本当にそんなものに意味などないのかもしれないのだけど、やっぱり、実際に作品を観たりすると、これはいくら何でもヒドいよなあ、と感じてしまうのも事実。(まあ、でも「 低温火傷 」に関しては、まだ観ていないので何とも言えないのだけど)
「 なんだかすごくよく分かってしまう 」のだけど、「 やっぱりそれは違うんじゃないの 」という感覚を、堂々と持ちつづけるためには、やはり何かしらの「 確信 」のようなものが必要なのだろう。でも、現代において、「 確信 」を持っちゃってる奴って、ロクな奴がいないでしょう。廻りを見回してもさあ、実際のところ。
もしかしたら、「 なんだかすごくよく分かってしまう 」という感じを無理矢理にでも切断してしまうような、暴力的な論理性、不毛とも思えるような科学的思考のようなものが必要なのかもしれない。難しいことだけど。